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2009.03.03 Tuesday

豪商稲葉本家

 江戸時代の丹後には、宮津7万石(本庄氏)、田辺(舞鶴)3万5千石(牧野氏)、峰山1万3千石(京極氏)の三つの藩がありました。また幕府直轄領として、久美浜(くみはま)に代官所が置かれていました。
 久美浜は、天橋立からは国道312号線を西北西の方向に、自動車で約1時間走ったところにあり、往時を偲ばせる古い町並みが今も残っています。その中心部に、今日ご案内する「豪商稲葉(いなば)本家」が建っております。
 稲葉氏は、美濃の稲葉一族(織田信長家臣)の末裔と言われ、江戸時代には糀(こうじ)製造や廻船業を営み、近隣諸藩の金融を一手に引き受ける豪商でした。
豪商稲葉本家

 稲葉家の母屋は5年の歳月をかけて、明治23(1890)年に完成しました。母屋の玄関を入りますと、いきなり吹き抜けの大空間が広がり、圧倒されます。
母屋玄関間

 1階には座敷や書斎があり、更に奥へ廊下を進めば、数寄屋風の書院座敷に行き着きます。これは江戸時代に建てられた、「吟松舎」(ぎんしょうしゃ)と呼ばれる建物です。
 奥座敷や茶室の更に向こうには、緑が美しく広い庭園が造られていました。
吟松舎庭園

 母屋へ戻り、2階へ上がってみました。窓が開けられており、先ほど見せていただいた吟松舎の甍が、銀色に輝いていました。
二階からの甍

 敷地内には幾つかの蔵があり、現在は資料館として、貴重な文物が展示されています。
 中庭を経て、玄関の反対側にある「雛御門」(ひなごもん)から外へ出てみました。卯建(うだつ)のある格調高い門構えでした。
雛御門

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.02.25 Wednesday

旧尾藤家の雛人形

 前回お伝えした「ちりめん街道」の中心に、「旧尾藤(びとう)家住宅」はあります。尾藤氏は江戸時代には大庄屋を務め、当主は代々「庄蔵」を名乗るようになりました。
 第10代庄蔵は明治時代、生糸ちりめん業の傍ら、丹後銀行頭取を務めました。また第11代庄蔵は大正から昭和にかけて、加悦鉄道社長や加悦町長も務めております。
 母屋は江戸時代末期に建てられ、白壁と虫籠窓に彩られています。その後、明治から昭和初年にかけ、蔵や座敷、洋館の増改築が相次ぎました。特に、昭和3(1928)年に建てられた洋館は、第11代庄蔵の強い思い入れがあったと言います。

 住宅内の展示は、季節ごとに一部入れ替えられ、四季の変化に応じて楽しむことができます。今の時季は、同家に伝わった雛人形が、玄関近くの部屋に飾られております。
 最初の写真は、第11代庄蔵の妻・つるの雛人形と、彼女の着物です。
つるの雛人形
 つるは兵庫県の豊岡で生まれ、明治38年に第11代庄蔵のもとへ嫁ぎました。そして昭和51年に90歳で亡くなるまで、ずっと加悦の尾藤家を守ってきたそうです。

 次の写真は、彼らの長女・千津の雛人形です。
千津の雛人形
 千津は大正12年、16歳の若さで病没しました。ですから、この雛人形が飾られた期間は、随分短かったことでしょう。

 雛人形を見せていただいた後、住宅の内部を見学しました。居間には、当時のラジオや電話機などが置かれています。
1階居間

 奥座敷を抜けて、階段を上がってみました。2階には洋風の書斎と応接室があります。これが第11代庄蔵の念願であった洋館の室内なのですね。
2階洋室
 今から80年も前、丹後にこのような洋室が完成していたことに驚きました。また当時の加悦谷の繁栄が、瞼に浮かぶ思いがしました。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.02.19 Thursday

ちりめん街道

 数日前から急に寒くなりました。丹後でも雪が舞い、ようやく本来の冬に戻ったような気がします。
 今日は前回に引き続き、丹後の旧家を訪ねます。ご案内するのは、与謝野町加悦(かや)の情緒ある町並みです。このあたりは「加悦重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、一般に「ちりめん街道」と呼ばれております。

 「縮緬」(ちりめん)は生糸を原料とする白生地の絹織物で、京都・加賀の友禅や沖縄の紅型(びんがた)にも使われるなど、着物の素材の多くが縮緬でできています。当地の「丹後ちりめん」は、全国の白生地生産量の6割以上を占めるそうです。
 丹後ちりめんの特徴は「シボ」と、肌に馴染むしなやかな風合いです。「シボ」とは、糸に機械で強く撚りをかけて、予め作った生地の凹凸のことで、着るときに皺が生じるのを防ぎます。
 古来、絹織物の産地であった丹後地方で縮緬が作られ始めたのは、江戸時代中期(18世紀前半)に遡ります。京都・西陣で修業した職人が、縮緬の技術を持ち帰り、峰山と加悦でほぼ同時期に織り始めたのです。彼らは地元の人々に製法を惜しみなく伝えましたし、丹後は工程に欠かせない良質な水に恵まれていましたので、地域の新しい基幹産業として育っていきました。
 縮緬産業は昭和30年代に最盛期を迎え、岩滝・野田川・加悦・峰山・網野などの生産地は、好況に沸いたと言います。今では往時の隆盛はありませんが、時代のニーズに合った製品作りが行われており、これらの地域を歩きますと、どこからともなく機織りの音が聞こえてきます。

 次の写真は、ちりめん街道の中心部にある「旧尾藤(びとう)家住宅」です。同家は江戸時代後期には、生糸ちりめん問屋として活躍しました。
旧尾藤家住宅

 付近には、明治・大正・昭和にかけて建てられた商家・工場、洋風の医院、酒蔵、旅館などが軒を連ね、ノスタルジックな町並みが残っています。
ちりめん街道
 
 また街道沿いには、江戸時代に創建された寺院も点在しています。下の写真は、「実相寺」(じっそうじ:日蓮宗)、そして「宝巌寺」(ほうがんじ:浄土宗)です。
実相寺

宝巌寺
 ともに高い石垣の上に建つ堂々たる寺院で、下から見上げれば、形の良い山門が人々を迎えてくれます。
 これらの寺院は、雰囲気が周囲と全く異ならず、街道の落ち着いた家並みの中に、自然に溶け込んで存在しています。

 街道の南端に近い場所に「杉本(すぎもと)家住宅」があり、家の前に「縮緬発祥之地」の碑が立っていました。
杉本家住宅

 次回は、旧尾藤家住宅の内部の様子、飾られている雛人形などをご紹介します。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.02.13 Friday

旧三上家住宅

 丹後地方に限らないと思いますが、暖かい2月がなお続いています。昨年の同時季に撮った写真を見ますと、雪の風景が多く、空も暗く、典型的な日本海側の冬を過ごしておりました。
 今月になってから、当地ではまだ雪が降っていません。雪の代わりに降るのは雨です。雪掻きは必要ありませんが、情緒も雪ほどでなく、私のように観光を生業にする者は、やはりこの時季は、雪景色を見ていただきたいという思いがします。
 前回のブログでご案内した世屋高原に引き続き、今回は当初、その北に広がる白銀の碇(いかり)高原をご紹介するつもりでした。しかしライブカメラを見れば、標高400mの高原にも拘らず、雪が殆ど融けて枯草が露出しています。そのような現況で、雪に覆われたときの情報を、強いてお伝えするのもどうかと考えました。
 丹後には、旧家のすばらしい住宅が幾つも残っています。それを巡ることにいたします。

 今日はまず、宮津市街にある「旧三上(みかみ)家住宅」です。昨年8月23日のブログで、宮津市街の見どころの一つとして、簡単にご紹介しております。
 三上氏は元禄時代創業の豪商で、屋号は「元結屋」(もっといや)といいます。酒造・廻船・糸問屋を営み、宮津の町政や藩財政にも深く関わりました。
 明治維新(戊辰戦争)時にはこの屋敷が、山陰道鎮撫総督・西園寺公望の宿舎となりました。建物が国の重要文化財に指定され、庭園も京都府指定名勝となっております。
旧三上家住宅

 主屋の入口をくぐりますと、土間の上部が吹き抜けになっており、太い梁や木組み、そして保存されている酒造のための施設が目に入ります。商家らしく、まず店舗部分があり、玄関で履物を脱ぎ、順路に従って奥へ進むのです。
 主屋は18世紀後半に完成し、19世紀前半にかけて増改築が繰り返されています。最も奥には「庭座敷」(にわざしき)があります。
庭座敷
 座敷の欄間には波間に躍る鯉が彫られ、長押(なげし)の釘隠しにも意匠が凝らされています。

 その室内から名勝の庭を眺めたのが、次の写真です。
名勝庭園
 住宅が狭い範囲に集積した宮津市街で、このような庭を見ておりますと、心が落ち着きますね。

 屋内を巡回し、台所近くの「奥座敷」(おくざしき)から玄関を振り返れば、商家の構造がよくわかりました。
奥座敷

 台所付近は、次のような雰囲気です。
台所

 この旧家の見学を終えたとき、かつて北前船で賑わった宮津の繁栄を、垣間見たような気がしました。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.02.07 Saturday

雪の世屋高原

 2月に入ってからも、丹後地方は比較的暖かい日が続いております。先月下旬に降った雪は、さすがに殆どの地域で融けてしまいました。
 雪が積もれば、雪掻きや凍結で生活上は一苦労です。ただ野山が純白に装いを改めるのを見ておりますと、日常の風景とは違った、郷愁にも似た思いがよぎります。

 しかし今日現在でなお、45cmの積雪量を残しているところがあります(京都府道路情報提供システムによる)。「世屋(せや)高原」です。今回はそこをご案内します。
 実は、昨年10月7日のブログでこの高原を取り上げ、山里に稲が実り蕎麦の花が咲く、秋の様子をお知らせしました。
 冬となれば、風景が一変します。私が訪れた先月中旬は、折しも降雪の後で、雪深い山里の情緒が随所に溢れておりました。
 
 天橋立の南側から阿蘇海を周回し、北側の府中を通り過ぎ、国道178号線を更に北上します。宮津湾を若狭湾から仕切る栗田(くんだ)半島の北端が真横に見える頃、日置(ひおき)という集落に到達します。
 そこから国道を離れ、左方に府道75号線を進みますと、車道は山中へ吸い込まれるように延び、下世屋(しもせや)の集落を経て、次第に高度を上げていきます。周囲は全くの田園風景で、棚田も作られています。その中を走り抜ければ、やがて上世屋(かみせや)の集落へ到着します。
 次の写真は、集落を貫く道を上り、振り返って撮ったものです。
上世屋集落
 仲秋には稲穂が黄金色に実っていた田圃が、雪で一面覆われていますね。

 集落から先へは、ご覧のような雪道を進みます。
世屋高原への雪道
 除かれた雪が道路両端に押し上げられていますので、白銀一色の道ですが、ガードレールが補強されたようで、意外に走りやすいと思いました。除雪された方のご苦労に、頭が下がります。

 「家族旅行村」のあたりへ来たとき、若狭湾が下方に見えてきました。眼前の白雪、冬枯れの木々、その向こうに青い海、晴れた空が広がり、非常に清々しい気分になりました。
高原から若狭湾を望む

 除雪された道路は、やがて行き止まりとなっていました。そこから引き返し、次に木子(きご)集落への岐路へ車を進めました。
 この集落は周囲を山に囲まれた、高原の奥懐に営まれています。広大な田畑が耕され、高層湿原もありますが、この時季はすべてが雪の下です。写真は、集落手前の雪原を撮ったものです。
木子集落の雪原

 降雪後、この地域へ足を踏み入れますと、「非日常」を思いきり体験できるような気がします。

〔注〕 今は残雪が多くありませんが、世屋高原は一たび大雪が降ると1mくらい積もる、丹後地方でも最も雪深い地域です。行かれる方は、天気予報など充分にご注意ください。また降雪時、雪道の運転に慣れていない方へは、このコースはお勧めできません。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.02.01 Sunday

新井の千枚田

 ここ数回のブログでは、天橋立・丹後の雪景色をご案内しております。
 最近は温暖化のせいか、年々積雪量が少なくなっていると、地元の方は言われます。確かに冬とはいえ、当地では頻繁に雪が降っているわけではありません。ただ降った雪は夜の間に凍り、なかなか融けないまま数日が過ぎるのです(道路は除雪されています)。

 少年時代を四国で送った私の記憶では、僅かな積雪でも一冬に1〜2度しかなく、しかも朝に一面の銀世界だとしても、昼頃には融けていました。ですから、たまたま数センチの積雪などあろうものなら、学校の休憩時間には運動場へ跳び出し、目を輝かせて級友と雪合戦に興じたことを思い出します。
 そんな私としては、本来は丹後地方の冬らしい雪景色を、次々と皆様にお知らせしたいのですが、そもそも雪の日がさほど多くないうえ、雪景色ばかり載せるのもどうかと思いましたので、1月11日のブログで立岩の様々な表情をお伝えしたのに倣って、今回も四季の移ろいをご紹介します。

 今日取り上げますのは、丹後半島東岸にある「新井(にい)の千枚田」です。
 舟屋で有名な伊根湾付近から北上しますと、国道178号線は海から遠ざかった山中を辿ります。途中で国道を離れて、東へ細い道を走れば、新井の集落に到ります。
 このあたりは、不老不死の仙薬を求める秦の始皇帝によって、東方の蓬莱島へ派遣された徐福(じょふく)が、上陸したと伝えられる地域です。この伝説は、紀伊半島の熊野をはじめ、全国各地に残されていますが、丹後でもこの地に伝わっているのです。「新井崎神社」には徐福が祀られています。
 私も伝説に惹かれ、新井崎の磯浜に立ってみました。真夏のことで、海は真っ青でした。今とは季節が違いますから、新井崎については、また折を見てお知らせします。

 さて、新井の千枚田です。集落の裏山斜面に、小さく仕切られた棚田が営まれています。田の傍から海を見下ろした風景を、四季折々に撮影してみました。今日はそれをご覧ください。

 まず晩春です。棚田には水が張られ、小さく稲の苗が見えます。沖に浮かぶ二つの島は、右が「冠島」(かんむりじま)、左が「沓島」(くつじま)です。
千枚田−晩春

 次は盛夏です。稲は既に、畦(あぜ)の草より高く育っています。
千枚田−盛夏

 続いて仲秋です。畦の草の色は変わらないのに、稲だけが黄金色に実っていますね。
千枚田−仲秋

 新年にも訪れてみました。先に降った雪が残っています。
千枚田−新年

 一旦雪を見れば、一面の銀世界も見たくなりました。機会を捉えて再訪した厳冬の光景が、次の写真です。
千枚田−厳冬

 季節によって海の色まで違うでしょう? 季節ごとの空の色を映しているのか、光線の強さが影響しているのか、カメラが捉える明暗の差が生じさせるのか、私には詳しくはわかりませんが、これも季節の移ろいの一つかと思います。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.26 Monday

雪の大江山 〈2〉

 今日は、大江山の西側山麓から見た雪景色をご案内します。
 国道176号線は加悦谷(かやだに)に沿って通じており、天気が良ければ、車の行く手に大江山連峰を仰ぎながら走ることができます。

 雪原に陽光が当たりますと、表面が蒸発し、霧を発生させることがあります。次の写真は、降雪の翌朝に加悦谷を南下しながら撮ったもので、山裾には集落が連なっているのですが、うっすらと霧で隠されています。
野田川の雪野
 木の枝の着雪が、まだ融けていませんね。

 与謝(よざ)が近づくにつれ、国道は弧を描いて高度を上げます。そして峠手前の、高い橋脚上に架かる「加悦大橋」からは、加悦谷を眼下に一望することができます。
与謝峠から加悦谷を望む
 峠のトンネルを抜けると、道は福知山市へ下っていきます。私は京阪神へ出張した際など、逆方向からこの峠まで帰り着いたとき、北に開ける風景を見下ろして、「ああ、丹後だ」という気になるのです。

 加悦大橋の橋脚が連なる斜面には、与謝の集落が広がっています。
 このあたりの積雪量は多く、民家が雪に埋もれるように建っていました。次の写真は、その合間から大江山の最高峰「千丈ヶ嶽」(せんじょうがたけ 833m)を撮ったものです。
与謝から見た千丈ヶ嶽

 この集落は、加悦谷の最奥部と言ってよいところです。斜面を下りて集落を振り返りますと、背後に連峰の南西端にある「赤石ヶ岳」(あかいしがたけ 736m)が聳えていました。
与謝集落と赤石ヶ岳

 前回と今回のブログで、雪の大江山を見ていただきました。如何でしたか?

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.22 Thursday

雪の大江山 〈1〉

 酒呑童子の伝説で有名な「大江山」(おおえやま)は、丹後・丹波の境付近に幾つかの峰を持つ連峰で、最高峰は千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ 833m)です。
 夏、気軽に登ったこの山も、冬になると様相を一変させます。冬山に登るには充分な準備が必要ですが、東西の山麓には福知山方面へ向かう車道が通じていますので、雪を被った麗姿を容易に仰ぐことができます。私も出張や用事でこれらの道をしばしば走り、その都度この山の美しさに触れ、心が洗われる思いをしております。
 今日は、大江山の雪景色の一端をご紹介します。

 宮津から京街道を南下し、普甲(ふこう)への坂道を上ります。晩秋、峠付近は紅葉が大変美しく、その様子は11月19日のブログでお伝えしました。
 雪の時季、目にするのは全く異なった色彩です。普甲峠に差し掛かると、遥か下方に宮津市街が見えました。
普甲峠から宮津を望む
 ここが近畿地方の一部かと思うくらい、一面雪に覆われているでしょう?

 峠を越えて雪道を下ります。沿道の木々は、初冬に葉を落としてからは、枯野といった風情でしたが、雪の後は目を瞠るほど美しい、純白の衣を身にまとっています。
梢の雪

 更に車を走らせます。晴れ間が広がったときなど、空の青と雪の白の取り合わせの眩しさに、思わず心を奪われます。
 そんなとき、私は車を道端に寄せて停め、素早く写真を撮ることにしています。もっとも行き交う車は少なく、邪魔になることもありません。
木々の雪と青空

 峠を下りて、「二瀬川(ふたせがわ)渓流」に到ります。ここの紅葉の美しさも、以前ご案内しました。
 季節が移り、雪が降りますと、すべての色彩が消えて、モノトーンの世界に変わるのです。
雪の二瀬川渓流
 渓谷の石は、随分可愛らしい形に雪が積もるのですね。

 今回は降雪の翌日、大江山東側山麓の道を進みました。
 次回は、西側山麓の道を行き、そこから見える大江山の雪景色をご紹介します。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.17 Saturday

雪の天橋立

 昨年8月9日のブログで、様々な場所から眺めた天橋立をご案内しました。眺める場所によって、姿を随分変えることがおわかりいただけたことでしょう。
 しかし姿だけでなく、雪が降ると、更に風情が変わります。厳冬の今、雪景色の天橋立をご紹介します。

 最初は、天橋立の北側山腹にある「傘松公園」からの雪景色です。その形状から「斜め一文字」とも呼ばれる天橋立の典型的な風景で、古くから名所となっています。
傘松公園から
 雪が降ると、趣きが一層深まりますね。

 次は、南側山上の「天橋立ビューランド」からの眺めで、「飛龍観」(ひりゅうかん)と呼ばれます。龍が勢いよく天に昇るような形をしており、北側とは全く違った景観です。
雪の飛龍観

 高所から見下ろした後は、天橋立の砂浜へ出てみましょう。
 夏は海水浴場となって多くの人々で賑わっていますが、冬ともなれば、殆ど人影を見かけません。
天橋立の砂浜
 雪が波打際の近くに残っていますと、足跡をつけるのが勿体ないほどです。

 天気予報ではここしばらく、比較的暖かいとのことです。雪の天橋立をご覧になるには、事前の予報と、交通の便にご注意ください。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.11 Sunday

立岩の表情

 昨年の暮れに「日本海の風濤」として、2度のブログで取り上げた間人(たいざ)の「立岩」(たていわ)へは、私は冬だけでなく、他の時季にも何度か訪れています。
 季節や天候によって、立岩と周囲の海は、表情を随分変えるのですよ。今日は、様々な季節の立岩をご紹介しましょう。

 初めて立岩を訪れたのは、春たけなわの頃でした。うららかな陽気で風はなく、気温が高くて水平線が霞んでいました。
陽春の立岩
 殆ど波が立っていませんね。

 夏、近くの砂浜は海水浴場となり、紺碧の海が果てしなく広がっています。(但し、昨年は護岸工事のため、海水浴はできませんでした。)
盛夏の立岩

 晩秋にも訪ねてみました。波が高くなり、海水の色も深みを増したように思います。
晩秋の立岩

 そして冬、海上風警報が出ているときなど、下の写真のように、荒れ狂った波濤が砂浜へ押し寄せてきます。
厳冬の立岩

 同じ場所とは思えない、多彩な表情でしょう?

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.06 Tuesday

文殊堂十日えびす

 国内各地の戎(えびす)神社では、年初に「十日えびす」が行われます。私が以前住んでいた京阪神でも、京都ゑびす神社、大阪の今宮戎神社、西宮神社などに、商売繁盛や学業成就を願う多くの参拝客が訪れ、境内は非常に賑わっていました。
 
 天橋立でも今週土曜日(10日)、日本三文殊の一つに数えられる「智恩寺」(ちおんじ)で、この催しがあります。
 この寺は年間を通じて、天橋立に来られる観光客の多くが拝観に立ち寄られます。しかし特に年初の「十日えびす」には、近郊から多数の参拝客が訪れ、文殊堂の前に長蛇の列ができるのです。この日は露店も出て、境内は大いに賑わいます。

 昨年の同じ時季、私も当地で初めての正月を迎え、智恩寺(文殊堂)へ出かけてみました。次の写真は、その折の様子です。
文殊堂境内
 当日は早朝から、文殊菩薩像の特別開扉や各種のご祈祷、福娘による福徳長寿の福棒授与などが行われます。

 拝観を終えて山門(黄金閣)を出ますと、門前に連なる土産物店や飲食店は、この日に合わせた華やかな飾りつけを施し、お客様を迎えていました。
門前の賑わい

 十日えびすが過ぎれば、正月行事にようやく一区切りつく感じです。しかし丹後では、厳しい冬が更に続きます。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2009.01.02 Friday

この元旦も雪

 新年あけましておめでとうございます。
 天橋立ホテルは本年も、当地を訪ねられるお客様に、すてきな時間を過ごしていただけるよう、精一杯努めてまいりますので、よろしくお願い申しあげます。

 昨年末のブログで、2008年の雪の元旦についてお伝えしました。
 2009年の元旦も同様に、未明から雪が降り、朝には銀世界が広がっていました。但し、昨年より水分を多く含んだ、重い雪のような感じがします。
 新年の挨拶や仕事に一段落がついたとき、館外へ出て、まずは近くの智恩寺へ初詣に出かけ、お客様とホテル運営の安寧をお祈りしました。見回しますと、市街地の雪は車や人に踏まれ、シャーベット状になっています。私は新雪を見たくなり、また当地の新春風景を伺おうと、郊外へ車を走らせてみました。

 今年最初の写真は、平地地蔵(へいじじぞう)です。昨年12月9日のブログで、藁で編んだ頭巾と蓑を着けた姿をご紹介しました。
 以来、雪が石像に積もった様子を想像し、見てみたいと思っていたのです。新春に雪が降って、このお地蔵様が私の脳裏に浮かんできました。
 雪道を走り、現地へ行ってみますと、ご覧のような雪の中、ひとり静かに佇んでおられました。
雪を被った平地地蔵
 雪が積もると一層、昔話に出てくるお地蔵様みたいでしょう?

 道路を北上し、丹後半島の山中を走ってみました。田畑や山林に新雪が積もり、一面の白い世界が続いています。
雪の山野
 雪道を走るのも2年目となれば、運転に少し余裕が出てきました。しかし、冬タイヤでもスリップする場合があり、油断は禁物です。

 夕方、ホテルへ戻ったとき、阿蘇海上空の雲が切れて、水面に青空が映っていました。今年、良いことがあるのでしょうか?
夕晴れの阿蘇海

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.28 Sunday

雪の元旦

 1年前、私は当地での冬を、初めて迎えました。
 既に日本海は荒れ始め、私も自動車のタイヤを冬用に換えましたが、なかなか雪が降ってきません。

 しかし大晦日(2007年12月31日)が近づき、ようやく寒波が襲ってきました。ふと宮津湾に目をやると、天橋立の砂嘴の向こうに、うっすらと雪化粧した丹後半島の山々が見えます。稜線には雪雲がかかっていました。
世屋の山に冠雪

 車を丹後半島へ進めてみました。雪が激しく降ってきましたが、冬タイヤがしっかりと雪道を捉え、快適に走れます。
弥栄町の雪野
 このような雪の野山を見ながら車を運転するなど、私にとって初めての経験でしたので、少々怖いながら、気分は高揚していました。

 そして、2008年の元旦を迎えました。自宅の扉を開けると、雪が降り、道路に10cmばかり積もっています。
 ホテルへ出勤し、天橋立と阿蘇海を眺めました。最初は吹雪で対岸が見えませんでしたが、やがて雪が止み、見晴らしが良くなってきました。ロビーを出て撮ったのが、次の写真です。
元旦の天橋立  
 色彩のない世界が、こんなに美しいとは思いませんでした。
 
 2009年の元旦も冷え込む予報です。今回は、どのような情景を見ることができるでしょうか? 皆様も良いお年をお迎えください。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.24 Wednesday

カトリック宮津教会

 丹後地方は、11月20日前後に初雪が降った後、暖かい日が続いていました。ようやく昨日、山の頂に冠雪が見られましたが、今日は穏やかな日和の中、クリスマスイブを迎えています。
 都会では、街中にクリスマスのイルミネーションが溢れていることでしょう。こちらでも最近、この時季の夜、色とりどりの電飾を楽しむ民家を見かけるようになりました。
 しかし、何よりこちらの夜は暗く静かで、これが本来あるべき姿ではないかという気がしています。夜空が晴れたときなど、多くの星々が散りばめられた光景に感動します。冬の星座で有名なオリオンや明るく輝くシリウスが、中でも一際目立っています。

 そのような当地の冬の夜ですが、宮津市役所の西側に建つ「カトリック宮津教会」へ行ってみますと、ご覧のようにライトアップされております。
天主堂の夜

 また、教会正面の右側には、クリスマスツリーを象ったイルミネーションが飾られています。
天主堂のイルミネーション
 これらがライトアップされるのは、年明けの1月6日までということです。

 この教会については、8月23日のブログで一度簡単にご案内していますが、改めてご紹介します。
 1885(明治18)年に神戸に着いたフランス人宣教師ルイ・ルラーブ神父が、3年間の京都での生活を経た後、丹後や周辺地域での布教活動のため、宮津に赴任しました。当時は禁教令が解除されて間がなく、「耶蘇」の宣教師に対する反感や嫌悪がなお強かったと言います。
 神父は初め借家を教会としましたが、重病を患った家主が、洗礼を受けて快復したことに感謝し、その家屋と敷地を神父に寄付したのだそうです。これを機に少しずつ信者が増え、聖堂を新築することになり、1896(明治29)年に献堂(竣工)式が行われました。
 それがカトリック宮津教会(洗者聖ヨハネ天主堂)で、現存する中では長崎の大浦天主堂に次ぎ、国内で2番目に古い教会です。現在も毎週日曜にミサが行われている現役の教会ながら、堂内には畳が敷かれており、明治中期の礼拝の様子を窺い知ることができます。
 堂内の写真を撮ることはできませんので、具体的なご紹介は控えますが、内部は厳かな雰囲気に包まれ、祭壇を前にしますと、敬虔な気持ちが自然に湧き起こります。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.20 Saturday

日本海の風濤 〈2〉

 私が子供の頃に住んでいた瀬戸内地方の冬は、晴天の日が多く、空気は乾き、風も強くありませんでした。
 一方、今住んでいる日本海側の当地は、北西の季節風が吹き、雨や雪の日が多くて、湿潤な冬です。但し対馬暖流の影響で、気温はそんなに低くありません。
 そのような気候の違いが、当地に来てから日が浅い私にはまだまだ珍しく、日本海側に住んでいることを実感している毎日です。

 昨年の今頃、私は車を幾度か丹後半島の北岸へ走らせました。荒れた冬の海を見るためです。瀬戸内の凪いだ海面は、琴の名曲「春の海」を思い起こさせるような穏やかさでしたから、私にとって日本海の風濤は、憧れの対象ですらあったのです。
 前回ご紹介した間人(たいざ)の「立岩」(たていわ)付近の海岸は、高い波を特に間近で見られる場所のように思いました。
 砂浜に立ち、沖を見ていますと、ご覧のような風浪が次々と押し寄せてきます。
寄せ来る波
 波頭が幾重にも連なっているでしょう?

 波は浜に近づくと、強い風を受け、先端が割れ、飛沫となって砕け散ります。
砕け散る波

 また時折、波長が重なって、瞬く間に津波のように大きくせり上がり、砂浜の私めがけて襲いかかります。
せり上がる波
 デジカメのモニターには、巨大な波濤が私を飲み込みそうに映り、驚いて思わず尻もちをついてしまいました。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.15 Monday

日本海の風濤 〈1〉

 私が丹後地方に住むようになって、夏の日本海が青く煌めくのに驚いたことは、これまでブログに何度も書かせていただきました。
 しかし一方で、冬の日本海の荒波こそ、ぜひ見てみたいものだと密かに思っていました。
 もっとも、冬になればいつも海が荒れているのではありません。それでも北西の季節風が吹くこの時季は、他の季節よりも、荒れる海を見ることのできる割合が多くなります。

 先日、知人を案内して丹後半島の北岸をドライブしていたとき、視界に入る海を見て、時節柄、波が高くなってきたと思いました。
 まずは観光名所の「丹後松島」(たんごまつしま)です。
初冬の丹後松島
 寄せてくる波が、静かな季節とは違います。

 西へ向かい、竹野川河口の玄武岩「立岩」(たていわ)へ寄ってみました。春先からの護岸工事が終わり、付近の砂浜に人影は見られません。
 それまでの曇り空が晴れ、海が青くなってきました。立岩を撮ろうとデジカメを構えていましたら、押し寄せる波浪が立岩に激突し、飛沫が高く上がりました。それを見て、急いでシャッターを切ったのが、次の写真です。
初冬の立岩
 立岩は高さが20mあります。それを越えて飛沫が上がる、驚くべき迫力を感じ取っていただけますか?

 立岩の傍には、「間人(はしうど)皇后と聖徳太子」の母子像が、まるで海の彼方を見つめるように立っています。
 以前(9月22日)のブログでご紹介したときは、明るい浜辺の写真を載せましたが、改めて初冬の夕暮れ時に訪れてみると、全く違った像のように寂しく感じます。
海を眺める像

 次回のブログでは、薄暗い空の下、沖から寄せてくる、冬の日本海の波濤をご紹介します。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.09 Tuesday

平地地蔵

 京丹後市大宮町の上常吉(かみつねよし)に、「平地地蔵」(へいじじぞう)という、高さ5.3mもある京都府内最大のお地蔵様が立っておられます。

 今春、峰山から加悦方面へ行こうと府道76号線を通っているとき、私はこのお地蔵様を偶然見つけました。折しも満開の桜の下、巨像ながら柔和な表情を仰ぎ見て、心が大層和んだことを覚えています。
桜の下の地蔵
 お顔にアザのような黒点があるところから、「アザ取り地蔵」とも呼ばれています。

 11月下旬、地元の方々が冬に備えて、このお地蔵様に、藁で編んだ頭巾と蓑を着ける習わしがあります。これを知った私は、ぜひ見てみたいと思いました。
 現地を訪れると、暖かそうに冬支度を済ませたお地蔵様が立っておられました。なんと微笑ましい光景なのでしょう! 昔話で読んだ、雪の中の笠地蔵を思い出しました。
蓑を着けた地蔵

 平地地蔵は、傍らにある説明文には「江戸時代後期の1832(天保3)年、山賊退散のために建立された」旨が記されています。
 しかし、地元の寺に伝わる文書によると、次のようなエピソードがあるようです。
 1822(文政5)年、財政難に陥った宮津藩が人頭税を課したことに、領民が反発して「文政一揆」が起こりました。農民たちの廃止要求は通りましたが、一揆のリーダー(新兵衛ら)は藩に捕えられ、過酷な拷問にも怯まず、処刑されたのです。
 彼らの供養のため、村人たちは浄財を出し合い、近くの谷から仏相を備えた巨石を掘り起こし、近隣の村に住む石工・松助が地蔵立像を彫ったということです。

 今は平穏な当地に、このような哀しい歴史があったのですね。
 蓑を着せてもらったお地蔵様を見ておりますと、自らを犠牲にして村人を救った義民を追慕する、丹後の人々に受け継がれた温かい心根が、痛いほど伝わってくるのです。
 当ホテルから南東へ700mほど行った路傍にも、文政一揆に関して「義士義民の碑」が建てられております。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.04 Thursday

由良ヶ岳に登る

 山歩きの好きな私が丹後へ来て最初に登ったのが、今年4月、京丹後市峰山町の「磯砂山」(いさなごさん 661m)でした。この地に伝わる羽衣天女伝説に惹かれたのですが、写真には春の花が写っておりますので、来春ブログでお知らせしようと思います。
 次に登ったのが7月、酒呑童子(しゅてんどうじ)の伝説で有名な「大江山」(最高峰・千丈ヶ嶽 せんじょうがたけ 833m)で、こちらは9月17日のブログでご紹介しました。
 今日ご案内するのは、私が丹後で三つ目に登った「由良ヶ岳」(ゆらがたけ 640m)です。

 宮津から舞鶴方面へ向けて、国道178号線を車で走りますと、由良の汐汲浜(しおくみはま)へ着く頃、この山は突如として、眼前に雄大な山容を現すのです。
 運転中ですから見とれるわけにはいきませんが、私は目にする都度、一度登ってみたいと思っていました。上記の二つの山と同様、この山も伝説を持っています。麓に山椒大夫の屋敷があり、厨子王が薪づくりをしたというのです。

 11月末、私の山仲間が当ホテルへ泊ってくれることになり、その折に私も一緒に由良ヶ岳へ登ることにしました。十人近い同行者を得て、今回は熊も怖くありません。
 登山の起点は、北近畿タンゴ鉄道の丹後由良駅です。
丹後由良駅から

 予め調べていた登山道へ足を踏み入れました。1合目から順番に標識が立っており、道に迷うことはありません。
 花崗岩が削られて溝状になっている道を行き、枯葉に一面覆われた道を登ります。
落ち葉の山道

 登山道の半ばを過ぎると、杉林の中を歩きます。稜線の近くには笹が生え、道も湿って滑りやすくなります。
 由良ヶ岳は東西に峰があり、鞍部から道が分かれます。駅を出てから鞍部まで、休憩も挟み1時間半ほどかかりました。
 そして、まず東峰へ向かいます。頂上に立つと、四方に視界が開け、眼下に由良川や大浦半島が見えます。ここには標高585mとの標識があるのですが、私の目には最高峰とされる西峰(640m)と同じくらいの高さに映りました。
東峰から
 頂上には虚空蔵菩薩が祀られ、多くの石が積まれていました。

 続いて、もう一つの山頂である西峰を目指します。ほどなく着いた頂上からは、栗田(くんだ)半島や天橋立が眺められます。
西峰から

 西峰の山頂で昼食を済ませ、下山を始めました。鞍部へ向かう道筋は木々の葉が落ち、遠くを見通せて明るい印象です。
冬枯れの山道

 滑りやすい急坂は、下山の方が大変です。しかし日が傾く頃には、全員が無事、下山できました。
 天候が変わりやすい晩秋ですが、幸い終日、好天に恵まれました。夕刻には当ホテルで、天然温泉に浸かり、蟹鍋を囲みます。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |