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2008.12.28 Sunday

雪の元旦

 1年前、私は当地での冬を、初めて迎えました。
 既に日本海は荒れ始め、私も自動車のタイヤを冬用に換えましたが、なかなか雪が降ってきません。

 しかし大晦日(2007年12月31日)が近づき、ようやく寒波が襲ってきました。ふと宮津湾に目をやると、天橋立の砂嘴の向こうに、うっすらと雪化粧した丹後半島の山々が見えます。稜線には雪雲がかかっていました。
世屋の山に冠雪

 車を丹後半島へ進めてみました。雪が激しく降ってきましたが、冬タイヤがしっかりと雪道を捉え、快適に走れます。
弥栄町の雪野
 このような雪の野山を見ながら車を運転するなど、私にとって初めての経験でしたので、少々怖いながら、気分は高揚していました。

 そして、2008年の元旦を迎えました。自宅の扉を開けると、雪が降り、道路に10cmばかり積もっています。
 ホテルへ出勤し、天橋立と阿蘇海を眺めました。最初は吹雪で対岸が見えませんでしたが、やがて雪が止み、見晴らしが良くなってきました。ロビーを出て撮ったのが、次の写真です。
元旦の天橋立  
 色彩のない世界が、こんなに美しいとは思いませんでした。
 
 2009年の元旦も冷え込む予報です。今回は、どのような情景を見ることができるでしょうか? 皆様も良いお年をお迎えください。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.24 Wednesday

カトリック宮津教会

 丹後地方は、11月20日前後に初雪が降った後、暖かい日が続いていました。ようやく昨日、山の頂に冠雪が見られましたが、今日は穏やかな日和の中、クリスマスイブを迎えています。
 都会では、街中にクリスマスのイルミネーションが溢れていることでしょう。こちらでも最近、この時季の夜、色とりどりの電飾を楽しむ民家を見かけるようになりました。
 しかし、何よりこちらの夜は暗く静かで、これが本来あるべき姿ではないかという気がしています。夜空が晴れたときなど、多くの星々が散りばめられた光景に感動します。冬の星座で有名なオリオンや明るく輝くシリウスが、中でも一際目立っています。

 そのような当地の冬の夜ですが、宮津市役所の西側に建つ「カトリック宮津教会」へ行ってみますと、ご覧のようにライトアップされております。
天主堂の夜

 また、教会正面の右側には、クリスマスツリーを象ったイルミネーションが飾られています。
天主堂のイルミネーション
 これらがライトアップされるのは、年明けの1月6日までということです。

 この教会については、8月23日のブログで一度簡単にご案内していますが、改めてご紹介します。
 1885(明治18)年に神戸に着いたフランス人宣教師ルイ・ルラーブ神父が、3年間の京都での生活を経た後、丹後や周辺地域での布教活動のため、宮津に赴任しました。当時は禁教令が解除されて間がなく、「耶蘇」の宣教師に対する反感や嫌悪がなお強かったと言います。
 神父は初め借家を教会としましたが、重病を患った家主が、洗礼を受けて快復したことに感謝し、その家屋と敷地を神父に寄付したのだそうです。これを機に少しずつ信者が増え、聖堂を新築することになり、1896(明治29)年に献堂(竣工)式が行われました。
 それがカトリック宮津教会(洗者聖ヨハネ天主堂)で、現存する中では長崎の大浦天主堂に次ぎ、国内で2番目に古い教会です。現在も毎週日曜にミサが行われている現役の教会ながら、堂内には畳が敷かれており、明治中期の礼拝の様子を窺い知ることができます。
 堂内の写真を撮ることはできませんので、具体的なご紹介は控えますが、内部は厳かな雰囲気に包まれ、祭壇を前にしますと、敬虔な気持ちが自然に湧き起こります。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.20 Saturday

日本海の風濤 〈2〉

 私が子供の頃に住んでいた瀬戸内地方の冬は、晴天の日が多く、空気は乾き、風も強くありませんでした。
 一方、今住んでいる日本海側の当地は、北西の季節風が吹き、雨や雪の日が多くて、湿潤な冬です。但し対馬暖流の影響で、気温はそんなに低くありません。
 そのような気候の違いが、当地に来てから日が浅い私にはまだまだ珍しく、日本海側に住んでいることを実感している毎日です。

 昨年の今頃、私は車を幾度か丹後半島の北岸へ走らせました。荒れた冬の海を見るためです。瀬戸内の凪いだ海面は、琴の名曲「春の海」を思い起こさせるような穏やかさでしたから、私にとって日本海の風濤は、憧れの対象ですらあったのです。
 前回ご紹介した間人(たいざ)の「立岩」(たていわ)付近の海岸は、高い波を特に間近で見られる場所のように思いました。
 砂浜に立ち、沖を見ていますと、ご覧のような風浪が次々と押し寄せてきます。
寄せ来る波
 波頭が幾重にも連なっているでしょう?

 波は浜に近づくと、強い風を受け、先端が割れ、飛沫となって砕け散ります。
砕け散る波

 また時折、波長が重なって、瞬く間に津波のように大きくせり上がり、砂浜の私めがけて襲いかかります。
せり上がる波
 デジカメのモニターには、巨大な波濤が私を飲み込みそうに映り、驚いて思わず尻もちをついてしまいました。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.15 Monday

日本海の風濤 〈1〉

 私が丹後地方に住むようになって、夏の日本海が青く煌めくのに驚いたことは、これまでブログに何度も書かせていただきました。
 しかし一方で、冬の日本海の荒波こそ、ぜひ見てみたいものだと密かに思っていました。
 もっとも、冬になればいつも海が荒れているのではありません。それでも北西の季節風が吹くこの時季は、他の季節よりも、荒れる海を見ることのできる割合が多くなります。

 先日、知人を案内して丹後半島の北岸をドライブしていたとき、視界に入る海を見て、時節柄、波が高くなってきたと思いました。
 まずは観光名所の「丹後松島」(たんごまつしま)です。
初冬の丹後松島
 寄せてくる波が、静かな季節とは違います。

 西へ向かい、竹野川河口の玄武岩「立岩」(たていわ)へ寄ってみました。春先からの護岸工事が終わり、付近の砂浜に人影は見られません。
 それまでの曇り空が晴れ、海が青くなってきました。立岩を撮ろうとデジカメを構えていましたら、押し寄せる波浪が立岩に激突し、飛沫が高く上がりました。それを見て、急いでシャッターを切ったのが、次の写真です。
初冬の立岩
 立岩は高さが20mあります。それを越えて飛沫が上がる、驚くべき迫力を感じ取っていただけますか?

 立岩の傍には、「間人(はしうど)皇后と聖徳太子」の母子像が、まるで海の彼方を見つめるように立っています。
 以前(9月22日)のブログでご紹介したときは、明るい浜辺の写真を載せましたが、改めて初冬の夕暮れ時に訪れてみると、全く違った像のように寂しく感じます。
海を眺める像

 次回のブログでは、薄暗い空の下、沖から寄せてくる、冬の日本海の波濤をご紹介します。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.09 Tuesday

平地地蔵

 京丹後市大宮町の上常吉(かみつねよし)に、「平地地蔵」(へいじじぞう)という、高さ5.3mもある京都府内最大のお地蔵様が立っておられます。

 今春、峰山から加悦方面へ行こうと府道76号線を通っているとき、私はこのお地蔵様を偶然見つけました。折しも満開の桜の下、巨像ながら柔和な表情を仰ぎ見て、心が大層和んだことを覚えています。
桜の下の地蔵
 お顔にアザのような黒点があるところから、「アザ取り地蔵」とも呼ばれています。

 11月下旬、地元の方々が冬に備えて、このお地蔵様に、藁で編んだ頭巾と蓑を着ける習わしがあります。これを知った私は、ぜひ見てみたいと思いました。
 現地を訪れると、暖かそうに冬支度を済ませたお地蔵様が立っておられました。なんと微笑ましい光景なのでしょう! 昔話で読んだ、雪の中の笠地蔵を思い出しました。
蓑を着けた地蔵

 平地地蔵は、傍らにある説明文には「江戸時代後期の1832(天保3)年、山賊退散のために建立された」旨が記されています。
 しかし、地元の寺に伝わる文書によると、次のようなエピソードがあるようです。
 1822(文政5)年、財政難に陥った宮津藩が人頭税を課したことに、領民が反発して「文政一揆」が起こりました。農民たちの廃止要求は通りましたが、一揆のリーダー(新兵衛ら)は藩に捕えられ、過酷な拷問にも怯まず、処刑されたのです。
 彼らの供養のため、村人たちは浄財を出し合い、近くの谷から仏相を備えた巨石を掘り起こし、近隣の村に住む石工・松助が地蔵立像を彫ったということです。

 今は平穏な当地に、このような哀しい歴史があったのですね。
 蓑を着せてもらったお地蔵様を見ておりますと、自らを犠牲にして村人を救った義民を追慕する、丹後の人々に受け継がれた温かい心根が、痛いほど伝わってくるのです。
 当ホテルから南東へ700mほど行った路傍にも、文政一揆に関して「義士義民の碑」が建てられております。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.04 Thursday

由良ヶ岳に登る

 山歩きの好きな私が丹後へ来て最初に登ったのが、今年4月、京丹後市峰山町の「磯砂山」(いさなごさん 661m)でした。この地に伝わる羽衣天女伝説に惹かれたのですが、写真には春の花が写っておりますので、来春ブログでお知らせしようと思います。
 次に登ったのが7月、酒呑童子(しゅてんどうじ)の伝説で有名な「大江山」(最高峰・千丈ヶ嶽 せんじょうがたけ 833m)で、こちらは9月17日のブログでご紹介しました。
 今日ご案内するのは、私が丹後で三つ目に登った「由良ヶ岳」(ゆらがたけ 640m)です。

 宮津から舞鶴方面へ向けて、国道178号線を車で走りますと、由良の汐汲浜(しおくみはま)へ着く頃、この山は突如として、眼前に雄大な山容を現すのです。
 運転中ですから見とれるわけにはいきませんが、私は目にする都度、一度登ってみたいと思っていました。上記の二つの山と同様、この山も伝説を持っています。麓に山椒大夫の屋敷があり、厨子王が薪づくりをしたというのです。

 11月末、私の山仲間が当ホテルへ泊ってくれることになり、その折に私も一緒に由良ヶ岳へ登ることにしました。十人近い同行者を得て、今回は熊も怖くありません。
 登山の起点は、北近畿タンゴ鉄道の丹後由良駅です。
丹後由良駅から

 予め調べていた登山道へ足を踏み入れました。1合目から順番に標識が立っており、道に迷うことはありません。
 花崗岩が削られて溝状になっている道を行き、枯葉に一面覆われた道を登ります。
落ち葉の山道

 登山道の半ばを過ぎると、杉林の中を歩きます。稜線の近くには笹が生え、道も湿って滑りやすくなります。
 由良ヶ岳は東西に峰があり、鞍部から道が分かれます。駅を出てから鞍部まで、休憩も挟み1時間半ほどかかりました。
 そして、まず東峰へ向かいます。頂上に立つと、四方に視界が開け、眼下に由良川や大浦半島が見えます。ここには標高585mとの標識があるのですが、私の目には最高峰とされる西峰(640m)と同じくらいの高さに映りました。
東峰から
 頂上には虚空蔵菩薩が祀られ、多くの石が積まれていました。

 続いて、もう一つの山頂である西峰を目指します。ほどなく着いた頂上からは、栗田(くんだ)半島や天橋立が眺められます。
西峰から

 西峰の山頂で昼食を済ませ、下山を始めました。鞍部へ向かう道筋は木々の葉が落ち、遠くを見通せて明るい印象です。
冬枯れの山道

 滑りやすい急坂は、下山の方が大変です。しかし日が傾く頃には、全員が無事、下山できました。
 天候が変わりやすい晩秋ですが、幸い終日、好天に恵まれました。夕刻には当ホテルで、天然温泉に浸かり、蟹鍋を囲みます。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |