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2009.06.21 Sunday

舞鶴・自衛隊桟橋

 以前、私が大浦半島の「舞鶴親海公園」へ行ったとき、海上自衛隊のイージス護衛艦「みょうこう」(全長161m、基準排水量7,250t)が舞鶴湾口を航行するのを、たまたま目にしたことがあります。
舞鶴湾口
 因みに「イージス」とは、同時に多数の空中目標を捕捉し、これらを迎撃できる画期的な防空システムを指します。
 自衛艦であれ一般船であれ、大きな艦船の航行を間近で見ると、心が躍ります。

 大阪湾などでは、自衛艦を見かけることは殆どありません。そこで今日は、自衛艦が停泊している東舞鶴の「自衛隊桟橋」へ行ってみることにします。なお、東舞鶴の界隈は、昨年9月1日のブログで取り上げておりますので、そちらもご覧ください。

 天橋立から東へ向かい、宮津市街・由良を通り過ぎ、西舞鶴から国道27号線に沿って、東舞鶴を目指します。東西の舞鶴は、山地で市街が隔てられています。
 山地を抜けた国道が、北から東へ向きを変えてまもなく、自衛隊の艦船が停泊する「北吸(きたすい)桟橋」が、左側(北)に見えてきます。
 このあたりは、20世紀初頭に完成した軍港(海軍・舞鶴鎮守府)の跡地で、現在は「海上自衛隊・舞鶴基地」となっております。ここでは特に事情のない限り、土日曜・祝日には、近寄って艦船を見ることができるのです。

 敷地内へ入ってみましょう。乗ってきた自動車を門内へ進め、自衛官が配置された受付で、住所・氏名等を記しますと、見学許可証が手渡されます。
 桟橋には、濃い灰色の大きな艦船群が停泊しており、最初に例の「みょうこう」を見つけました。
護衛艦みょうこう
 日本が保有するイージス護衛艦6隻のうち、「みょうこう」「あたご」の2隻が、舞鶴を母港としています。

 その先には、補給艦「ましゅう」(221m、13,500t)が停泊していました。燃料を積載するだけあって巨艦です。岸壁に沿って歩き、「みょうこう」の艦首から「ましゅう」を眺めました。
補給艦ましゅう

 私が訪れた日は、護衛艦「みねゆき」(130m、2,994t)を、甲板上で見学することができました。僚艦「あぶくま」と2列に並んで停泊しています。まず「あぶくま」に架けられた通路を上り、甲板を横切って「みねゆき」へ移りました。
 艦上には対艦・対空ミサイルや、対潜魚雷の発射装置などが配備されていました。日頃見慣れないだけに、驚きの連続です。次の写真は、前方の速射砲の傍らから、艦首方向を撮ったものです。
みねゆき艦首
 その後、甲板を艦尾へ回ってから、岸壁へ降りました。普段見られない自衛艦に接することができて、多少興奮してしまいました。

〔注〕 海上自衛隊(舞鶴地方隊)のホームページを検索し、この7月20日までの見学予定を見てみますと、7月4〜5日を除く土日曜・祝日(9〜16時)は、指定された護衛艦の甲板に上がって見学することができるようです。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.06.07 Sunday

碇高原牧場

 細川ガラシャ夫人が幽閉されていた味土野(みどの)から、(いかり)高原への山間部の道を、以前ご案内したことがあります(昨年10月13日のブログ)。
 今日は、その碇高原にある牧場を訪ねてみましょう。

 碇高原は丹後半島北部に広がる、標高400mのなだらかな高原です。ここへは、南西の野間(のま)からも、東の筒川(つつかわ)からも、北の海岸からも、それぞれ車道を通って行くことができます。
 初夏の牧場はご覧のとおり、明るい緑の絨毯を敷き詰めたようです。
牧場全景

 牧場の面積は88ヘクタールもあり、京都府畜産技術センターによって営まれています。場内には遊歩道が設けられ、羊・ヤギ・ポニー・ウサギなどと、間近に親しむことができます。
 私が行ったときも、ヤギの親子が目の前を悠々と歩いていました。
山羊の親子
 左奥には、青い日本海が見えています。

 丹後半島の山中とは思えない、広々とした牧場でしょう? 私はここが大好きで、季節ごとに何度も訪れています。
 羊やヤギが草を食むのを見ていると、心が癒されますね。
草を食む山羊

 場内の一角には小さな厩舎があり、ポニーが外へ出ていました。
仔馬

 また敷地内ではステーキハウスが営業しており、雄大な景色を眺めながら、ゆったりと食事を楽しむこともできます。
 この牧場は、天橋立・伊根・間人(たいざ)などの観光地からは幾分離れていますが、途中の景色も美しく、時間を割いて訪れる価値は充分にあると思います。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.05.31 Sunday

初夏の丹後半島へ

 季節は春から夏へと、着実に移ろいを見せています。
 今日は、天橋立から国道178号線を伊根方面へ向かい、車窓から見える海岸の様子をご案内します。

 天橋立北端の府中を過ぎ、しばらく車を走らせますと、ほどなく右側に、栗田(くんだ)半島との間に挟まれた海が見えてきます。宮津湾です。
 日置(ひおき)の集落を経て、先へ進みます。栗田半島もそのうち見えなくなり、広々とした海原が、初夏の陽光に煌めきます。
 今の時季、海岸沿いには地元の方が育てた花が咲き、青い海に彩りを添えています。
波見海岸1
 ここは、里波見(さとはみ)という地区です。沖には伊根の亀島(かめしま)半島が見えてきました。
波見海岸2
 眩しい海と、鮮やかな花の色の取り合わせが、とても綺麗でしょう?

 そのまま北へ進めば、長江(ながえ)地区です。このあたりは、瀬尾まいこさんの小説を映画化した「天国はまだ遠く」のロケ地にもなりました。
長江海岸
 海と花を見ながらのドライブは、心が浮き立ちますね。

 伊根が近づく頃、国道は海岸を一旦離れて、山中を走ります。伊根湾の風景は5月3日のブログでもお伝えしましたので、今日はそちらには立ち寄らず、もう少し北を目指すことにします。
 蒲入(かまにゅう)漁港や経ヶ岬への道筋の途中、国道を東へ逸れて、(とまり)という集落へ向かいました。
 そこは入江になっており、漁港や海水浴場があります。
泊の入江
 初夏の日差しは強く、やがて来る真夏の輝きを予感させました。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.05.24 Sunday

加悦谷の晩春

 近年、都市近郊では宅地化が進み、まとまった田野がなかなか見られなくなりました。しかし丹後地方では、今も広大な田畑が耕されています。
 春から夏へ季節が変わる頃、田には水が張られ、濃さを増した山々の影を映します。最初の写真は、天橋立の南西−「加悦谷」(かやだに:与謝野町)の田園風景です。
大江山西麓1
 奥に見えるのは酒呑童子伝説の大江山(おおえやま)連峰で、こちら側は西麓に当たります。

 デジカメを持ったまま、左(北)を向いて撮ったのが、次の写真です。
大江山西麓2
 空を映した水からは、小さな稲が顔を覗かせていますね。遥か遠くには、丹後半島の山並みが眺められます。

 この近辺にある「温江」(あつえ)という集落は、歌人・与謝野晶子の夫である鉄幹(てっかん)ゆかりの地です。
 実は与謝野鉄幹自身は京都市で生まれましたが、彼の父親・礼厳(れいごん=浄土真宗の僧侶)が当地出身であり、明治初年から出身地に因んで、与謝野の姓を名乗りました。鉄幹は父の故郷である丹後を、妻・晶子を伴って幾度か訪れております。
 天橋立には彼らの歌碑があります。そして温江には、与謝野礼厳の追念碑が立てられていました。
与謝野礼厳追念碑

 温江はご覧のように、水田の懐かしい風景が広がる里です。初めの2枚の写真を撮ってから半月を経て再訪しましたので、草木の色がずっと濃くなっています。
温江の田野
 私には、日本の原風景のように思えました。

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2009.05.17 Sunday

ハマナス咲く天橋立

 行く春を惜しむこの季節、好天の日を選んで天橋立を見下ろしますと、澄んだ空の下、白砂青松の浜が海中に延びる、豪壮にして優美な風景を楽しむことができます。
晩春の飛龍観
 この絶景を目にすれば、当地が古来「日本三景」とされたことに、思わず納得してしまいます。

 ところで、「知床旅情」の歌に「ハマナスの咲く頃」という詞がありますね。この詞に示されるように、この植物は北海道や東北地方など、冷涼な地域の砂地に自生しており、日本海側の南限は鳥取県と言われます。
 天橋立の砂浜にも、晩春から初夏にかけて、ハマナスの花が咲いているのです。
 文珠(もんじゅ:天橋立の南端)の廻旋橋を渡り、次の大天橋の手前で、砂浜に沿って東へ歩きますと、ご覧のような群生に行き当たります。
ハマナス咲く浜辺

 ハマナスを漢字で書けば「浜茄子」かと思いますが、どうやら正しくは「浜梨」のようです。
 砂浜に生えて、果実が梨のような形であることから、浜梨と名づけられ、その語尾が訛って、ハマナスとなったという説が有力です。
 紅色の花が咲きますと、青い海、白い砂浜が、更に美しくなりますね。
ハマナスの花
 バラ科に属し、果実は直径2cmほどの大きさで赤く、盛夏から初秋にかけて結実します。
 皆様も天橋立を散策される折、砂浜でハマナスを探してみてください。

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2009.05.10 Sunday

宮津祭

 私がよく逍遥する京都は名だたる祭礼都市で、四季を通じて殆ど毎日のように、どこかで祭礼が行われています。一方、丹後地方でも春から秋にかけて、域内各地で多くの祭やイベントが催されます。
 かつて天橋立に赴任したとき、私はその多さに驚くとともに、大いに興味が湧いてきました。今回は、数日後に迫った「宮津祭」について、ご紹介します。

 この祭は江戸時代以来、城下町・宮津で最大の祭でした。宮津旧市街は東西に大別され、東地区は「和貴宮(わきのみや)神社」、西地区は「山王宮日吉(さんのうぐう ひよし)神社」を、それぞれ氏神としております。
 5月15日の夕方、旧市街では笛や太鼓の音が鳴り響き、祭の行列が練り歩いて、気分を盛り上げます。
 旧市街は狭い範囲に民家が密集していますので、祭が行われる両神社もそんなに離れてはおりません。私もまず和貴宮へお参りし、周辺で神輿の行列を見た後、山王宮へ行ってみました。
夜の山王宮
 まもなく祭の中心となる山王宮も、今はまだ人影がまばらです。

 午後7時半を過ぎる頃、急に見物客が増えてきました。「太神楽」(だいかぐら)が始まるのです。囃子を奏でながら、天狗や獅子に扮した行列が、神社の石段を上ってきます。
 獅子は口に宝剣をくわえ、拝殿へ入っていきました。
太神楽

 続いて、町内を練り歩いた神輿が神社へ戻り、勢いよく石段を上り始めました。「神輿還御」(みこしかんぎょ)です。祀られる神様が神輿に乗って、本殿へ帰ってこられたのです。
神輿還御
 神輿が拝殿に入りますと、境内の明かりが一斉に消されます。暗闇の中、人々が神様をお送りする「オー」という声だけが響き、荘厳な雰囲気です。

 山王宮の祭が終わりました。家路に着く私が、和貴宮神社の近くを再び通りかかったとき、「浮太鼓」(うきだいこ)が勇壮な音を鳴らしながら、なお氏子の家々を回っておりました。
浮太鼓
 地元の方々が実に晴れやかな表情で、祭に参加しておられました。正に、住民に愛される伝統の祭ですね。

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2009.05.03 Sunday

伊根の晩春

 5月になり、日ごとに日差しが強くなってきました。
 今回は、伊根から丹後半島東岸にかけて、晩春の様子をご案内します。

 高台にある道の駅「舟屋の里伊根」(舟屋の里公園)へ行かれますと、伊根湾全体を見下ろすことができます。
 この時季、湾を取り囲む山は木々の緑が明るく、盛夏のような濃い色にはなっておりません。なんとも柔らかな表情を見せています。
晩春の伊根湾

 園内では、躑躅(つつじ)が赤・白・ピンクの花を咲かせ、非常に華やかです。
伊根湾と躑躅
 山の緑、海の青との色の取り合わせが、とても綺麗ですね。

 舟屋の里公園を後にして、国道178号線から少し東側へ逸れ、細い道路を北へ向かいます。これまで何度かご紹介しました、秦の徐福(じょふく)伝説や千枚田のある新井(にい)への道です。
 右側に、陽光に煌めく海が見えてきました。振り返りますと、伊根にかけて断崖が続いています。
伊根の断崖

 新井の海岸近くの棚田では、一面に水が張られています。これも晩春の風物詩ですね。
新井の棚田

 丹後半島を一周する国道178号線は、風景が大層美しいので有名な道路ですが、伊根の北では山中を通っています。
 お時間がありましたら、海側の道路を走ってみられても、丹後半島らしい美しい山海の眺望を、満喫できるのではないでしょうか。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.04.26 Sunday

磯砂山と天女伝説

 これまでに幾度か、私が登った丹後の山々をこのブログでご紹介してきましたが、最初に登った「磯砂山」(いさなごさん 661m)を、まだ取り上げておりませんでした。
 写真に春の花が写っているのが、その理由ですから、登山後1年を経て同じ季節が巡ってきた今、改めてご案内させていただきます。

 磯砂山は京丹後市の南部に聳える、羽衣天女が舞い降りたという伝説を持つ山です。
 全国各地にこの伝説が残されていますが、「丹後国風土記」には日本最古と言われる羽衣伝説が記されております。磯砂山の池で水浴びをする天女の羽衣を老夫婦が持ち帰り、天女は老夫婦の娘となって、酒造りで里を豊かにしたという物語です。
 また羽衣を持ち帰ったのが狩人で、天女を妻にしたものの、やがて天女は隠された羽衣を見つけ、天へ帰っていったという、別系統の物語も残されております。

 磯砂山に登るには、西麓を流れる鱒留川(ますどめがわ)に沿って遡り、南側の登山道を行くのが一般的です。
 車道の終点には駐車場もあり、そこへ自動車を置いて、登山道へ足を踏み入れます。始点に立つ標識によると、山頂までは1010段あるようです。
磯砂登山道
 登山道は思いのほか整備され、頂上までの残りの段数を示す標識が、随所に設けられていました。

 途中で、天女が水浴びしたとの伝説が残る池にも寄ってみました。但し池というより、窪地の水溜りという感じです。
 歩き始めてから、約40分で山頂に到着しました。
磯砂山頂
 山頂は広々とし、四方に展望が開けています。

 また、山頂には天女伝説のモニュメントが置かれていました。
天女の碑
 その傍らには、水仙の花が咲いています。
 
 山頂に半時間ばかりいて、下山を始めました。
下山道から
 登るときには気づかなかった周囲の様子が見えてきました。山の木々もようやく萌えてきたようです。

 下山して、鱒留川に沿って自動車を走らせ、北麓から振り返りますと、八重桜が咲く川岸の向こうに、今しがた登った磯砂山の姿が見えていました。
磯砂山と鱒留川

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.04.19 Sunday

丹後の躑躅

 桜に続いては、丹後の躑躅(つつじ)をご案内します。
 今日取り上げますのは、大輪の花を咲かせる大紫(おおむらさき=平戸ツツジの一種)ではなく、ヤマツツジや三つ葉ツツジです。

 与謝野町北部、京都府道2号線が兵庫県境の岩屋(いわや)峠へ向かう途中に、「雲岩(うんがん)公園」というヤマツツジの名所があります。
 鎌倉時代に寺院(雲厳寺)が開かれましたが、戦国の動乱に巻き込まれました。近世に再興された後、現在は公園となり、4月には5000本のヤマツツジが斜面を覆います。
雲岩公園
 標高130mの小高い尾根には巨岩が点在し、写真はそこから北東を眺めたものです。

 また、宮津湾東岸の高台に、「獅子崎(しいざき)稲荷神社」が鎮座しています。参道脇の斜面には1000本の三つ葉ツツジが群生し、毎年この時季、一斉に赤紫色の花を咲かせます。
獅子崎稲荷神社
 因みに、神社の建つ高台からの眺めは「雪舟観」(せっしゅうかん)と呼ばれ、雪舟の描いた国宝「天橋立図」の視点に一番近いとされております。

 三つ葉ツツジと言えば、久美浜の「如意寺」(にょいじ)も欠かせません。
 こちらは関西花の寺第7番札所で、四季折々の花を楽しむことができます。境内の遊歩道を歩きますと、三つ葉ツツジを間近で観賞することができます。
久美浜の如意寺
 花の向こうに、久美浜湾が見えていますね。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.04.12 Sunday

丹後の桜 〈2〉

 今日は天橋立・宮津を離れて、丹後半島、そして由良から舞鶴にかけての、桜の名所をご案内します。

 舟屋で有名な伊根から更に北へ進みますと、蒲入(かまにゅう)という漁港があります。
 丹後半島を巡る国道178号線は、漁港が見えてくるあたりで、道路の海側に桜並木が続きます。振り返れば、桜の合間から丹後半島の断崖が眺められました。
桜咲く蒲入

 丹後半島の先端・経ヶ岬(きょうがみさき)から、半島北岸を西進します。斜面に棚田が広がる袖志(そでし)を経て、ほどなく丹後松島(たんごまつしま)に着きました。
陽春の丹後松島
 陽春の日本海は波が穏やかです。海と桜は、実によく似合いますね。

 今度は、宮津から東へ向かい、北近畿タンゴ鉄道の丹後由良駅前まで来てみました。駅前の道の両側には、等間隔に植えられた桜の古木が、見事な花を咲かせています。
丹後由良駅前
 このような桜並木が京阪神になどあれば、見物客が殺到するでしょうに、当地では休日の昼間にも拘らず、ご覧のように、人影を殆ど見かけません。
 満開の桜を、正に独り占めでした。

 由良川を渡り、舞鶴市街へ入ります。舞鶴湾の西岸に、「吉田瑠璃寺」(よしだるりじ)という仏寺があり、そこの枝垂桜が立派で美しいのです。
吉田瑠璃寺
 戦国武将・細川幽斎が京都の吉田から桜を移し、以後この地が吉田と呼ばれるようになったそうです。

 丹後各地では、他にも美しい桜を多く見かけますが、都会と異なり、雑踏に揉まれて見物するということは殆どありません。
 暖かい日差しの中で、散りゆく桜花を静かに見ておりますと、日本の春の情緒とはこういうものかという思いがします。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.04.05 Sunday

丹後の桜 〈1〉

 私はこのたび異動により、2年間過ごした天橋立を去ることになりました。
 しかし、この間に丹後各地を探訪して接した四季の表情には、実に忘れがたい情趣がありますので、当面は丹後を再訪しながら、これらをお伝えしたいと存じます。

 今回と次回は、丹後各地に咲く桜をご案内します。
 まず天橋立と、その周辺の桜です。天橋立の北側にある府中駅から、山腹の傘松公園までは、ケーブルカーで4分、リフトで6分ほどです。
 ケーブルの敷かれた斜面には、桜の花が咲き誇っていました。
ケーブルと桜

 傘松公園の展望台からは、天橋立の砂嘴が延びる様が眼下に見え、こちらでも桜が咲き始めています。
傘松公園の桜
 正に、天橋立・丹後に春が来た、という感じですね。

 宮津市街でも、滝上公園をはじめ各所で美しい桜を見かけますが、山王宮日吉(さんのうぐうひよし)神社の境内に咲く桜には、「含紅桜」(がんこうざくら)という固有名詞が付いています。江戸時代前期(17世紀後半)、当時の宮津藩主によって命名されました。
 樹種はヤマザクラで、開花後は日ごとに薄紅色へ変化していきます。宮津市の天然記念物にも指定されております。
山王宮の含紅桜

 次の写真は、宮津市北部の世屋(せや)高原の奥地に咲く一本桜です。
 上世屋の集落を過ぎ、家族旅行村付近の斜面を南東へ少し下りますと、田畑の中で孤高を保つように開花し始めています。
世屋の一本桜
 低地では花の見頃を過ぎた時分でも、標高500m近い高原では、これから満開を迎えるところでしょうか。
 斜面の先には、宮津湾や栗田(くんだ)半島が見えています。

 次回は、丹後半島や由良・舞鶴の桜を、幾つかご案内します。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.03.27 Friday

依遅ヶ尾山に登る

 これまでのブログで、私が丹後へ来て以来、三つの山に登ったことをお伝えしました。
 最初に登ったのは08年4月、羽衣天女伝説の「磯砂山」(いさなごさん 661m)。次は7月、酒呑童子伝説の「大江山」(最高峰・千丈ヶ嶽 せんじょうがたけ 833m)。そして11月、山椒大夫伝説の「由良ヶ岳」(ゆらがたけ 640m)でした。
  
 この3月、雪の心配もなくなって、早春の登山をしてみたくなりました。ある休日に登ろうと選んだのが、丹後半島北部に聳える「依遅ヶ尾山」(いちがおさん 540m)です。変わった名前ですが、丹後一の山が語源との説があります。
 この山は、西方の海岸から遠望すると、一際目立つ稜線を持っています。私は稜線の形が、以前よく登った京都の愛宕山に似ていると思っていました。
海からの依遅ヶ尾山
 沖を行く船舶から眺めますと、この山はその独特の形状から、位置がわかる良い目印となっていることでしょう。

 依遅ヶ尾山へ登るには、間人(たいざ)近くで日本海に注ぐ竹野川(たけのがわ)を遡り、南麓から山頂を目指すことになります。
 川沿いの道から眺めた山容が、次の写真です。菜の花が春を告げていますね。
竹野川からの依遅ヶ尾山
 
 登山口には駐車場があり、いよいよ登り始めます。
 幅が広く緩やかな山道を歩きますと、数分のところに古代住居のような小屋が建ち、「ありが棟」と書かれています。「ありがとう」と読むのでしょうね。
ありが棟
 そこからは細い山道を登ります。南側には、遥か先まで山並みが続いています。初めは木立の中を歩くのですが、斜面を登るに従って、熊笹や低木が多くなります。
 早春の今は、木々はまだ冬枯れのままで、遠くまで見通すことができました。山頂が近づくにつれ、勾配が緩やかになります。途中で、猿の群れを見かけました。

 登山口を出発してから50分ほどで、山頂に到着しました。
 この山は、古くは巫女を養成する霊山と言われ、現在も山頂には、修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の石像が祀られています。
依遅ヶ尾山頂
 山頂からは360度の展望が楽しめます。北方には青く広大な日本海、西方には間人や網野の町並みが見下ろせます。また目を南方に転ずれば、碇(いかり)高原牧場の草原が見えてきます。

 山頂は広く、東へ進んでみますと、眼下に丹後半島最北端の経ヶ岬(きょうがみさき)を眺めることができました。
経ヶ岬を望む
 山頂に半時間ばかりいて、春の気配を楽しんだ後、下山しました。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.03.21 Saturday

舞鶴自然文化園の椿

 丹後でも例年より早く、桜が開化しそうです。
 今日はそれに先立ち、大浦半島中部にある「舞鶴自然文化園」の椿(つばき)をご紹介します。

 この自然文化園については、昨年9月4日のブログでも簡単にご案内しました。広大な敷地のうち、15ヘクタール以上が開放されており、園内の歩道を散策しながら、四季折々の花をゆったりと観賞することができます。
園内の草原

 3月中旬から1500種3万本の椿園が開かれ、なんと入場無料で楽しめるのです。園内を散策しながら撮った写真をご覧ください。
園内散策1

園内散策2

 特に4月5日までの間は、椿展「ツバキ原種の世界」が開催されて、屋内展示場でも鉢植えや切り花が見られ、人気のある椿の苗木も販売されております。
屋内展示場

 園内散策路からは舞鶴湾が、時折木々の合間に見えてきます。
 散策していますと、梅も紅白の花を咲かせていました。
園内の梅花

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.03.15 Sunday

早春の丹後半島

 一昨日から昨日にかけて、丹後でも強い風雨が吹き荒れました。気温が下がり、昨日午後には霙(みぞれ)まで降り出して、冬に逆戻りかと思いました。
 しかし今朝には好天となり、日中は気温がぐんぐん上がり、日差しもいつの間にか強くなって、春を感じさせています。
 今日は、波が穏やかで青さが増した、早春の丹後の海をご案内します。
 
 以前、初冬の丹後半島北岸を訪れたとき、波が高くなった「丹後松島」をご紹介したことがあります(昨年12月15日)。厳冬を経て再び春が巡り、次の写真のような穏やかな表情を見せるようになりました。
早春の丹後松島

 自動車を西へ向け、これまでにもよくご紹介した「立岩」(たていわ)まで来てみますと、こちらも荒々しい風濤が想像できないような穏やかさです。
早春の立岩
 日差しはすっかり春ですね。私が立っている叢の色は、まだ冬のままですが。

 間人(たいざ)西方の磯浜では、逆光の中、眼下に広がる海面の、銀色に輝く様子が印象的でした。
逆光の砂方海岸
 春が来て、正に溢れる光の中にいる感じがします。

 海岸線に沿って、更に西へ走ります。網野の八丁浜の西端に、「嶋児(しまこ)神社」という小さな祠が建っており、傍らに釣竿を持って亀に乗る浦島太郎の石像がありました。
嶋児神社の浦島太郎像
 丹後半島東岸の本庄浜の近くに「浦嶋神社」がありますが、網野の地にも浦島伝説が伝わっているのですね。
 このような伝説の身近な土地で過ごしますと、まるで古代に実際に起きた話のように思えてきました。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |

2009.03.09 Monday

早春の栗田半島

 今年は暖冬で、日本海沿岸でも積雪量は例年を大きく下回りました。昨年は3月になっても山地には残雪がありましたが、今年は全くありません。
 桜が開花するまでの間、景色は枯野のままで、梅のほか華やかな色彩も見当たりません。ブログで写真をご紹介する身には、題材を探すのが難しい昨今です。
 今日は、丹後地方を観光する中で比較的訪れることの少ない、「栗田(くんだ)半島」を巡ってみます。

 この半島は、宮津湾の東方に突き出しており、付け根を国道178号線が横切り、短時間で通り過ぎるので、つい見逃してしまう地域かもしれません。
 宮津市街が尽きるところで国道を離れ、湾岸に沿って自動車を走らせますと、栗田半島の西岸を進むことになります。宮津湾にせり出した小さな岬を「獅子崎」(しいざき)といい、天橋立に祀られる文殊菩薩が乗る獅子に因む地名と思われます。
 次の写真は、その付近から眺めた宮津湾で、対岸に天橋立の砂嘴が横一文字に見えています。
獅子崎から
 岬の高台には稲荷神社が建ち、4月には三つ葉躑躅(つつじ)が斜面を覆います。また、高台からの眺めを「雪舟観」(せっしゅうかん)といい、雪舟の描いた国宝「天橋立図」の視点に一番近いとされております。但し、今では木々が生長し、ところどころで視界を遮っているのが残念です。

 湾岸の道路を北上します。半島の先端近くまで行って、田井(たい)という集落の手前から山道へ入りますと、東側へ抜けることができるのですが、道が随分細いのです。そこで一般には、途中の獅子(ちし)という集落の三叉路を右折し、半島を横断されることをお勧めします。
 栗田半島の東側では、栗田湾が弓なりの海岸線を形成しています。そちらの岬近くに、関西電力宮津エネルギー研究所の大きな施設が見え、一角に「丹後魚っ知館」(たんごうおっちかん)が設けられています。
魚っ知館

 館内には水族館があり(有料)、大水槽では多種多様の魚類や海亀が泳ぎ回る様子を、間近で観察することができます。
大水槽
 また別の水槽では、丹後周辺に生息する魚や、珍しい魚介類なども展示され、楽しい時間を過ごせます。

 更に館外には、ペンギンやアザラシのコーナーもあり、愛らしい仕草を見ることができます。
ペンギン
 こちらは、水族館としての規模は決して大きくありませんが、海に親しむのに良い施設だと思いました。

 魚っ知館から道路を少し戻り、半島を北上しますと、静かな砂浜に出合います。ここは「越浜」(おっぱま)といい、夏には海水浴場として賑わいます。
越浜
 砂浜の西端に、島陰(しまかげ)という集落があります。その名のとおり、半島の先端近くに、隠れるように営まれている集落で、田井からの細い山道もここへ下りてきます。
 今回は、早春の栗田半島をご案内しました。

Author : 天橋立ホテル | 春の丹後 |