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2008.10.30 Thursday

西国第29番・松尾寺

 今日は、丹後のもう一つの西国三十三所観音霊場である「松尾寺」(まつのおでら)へ行ってみましょう。

 松尾寺は、若狭との境に聳える「青葉山」(あおばさん 699m)の中腹、即ち丹後の最東端と言ってもよい場所に建っています。
 この山は舞鶴市内から仰ぎますと、東西二つの峰が馬耳のように並んでいます(写真の右奥)。一方、福井県側から眺めますと、峰が重なって秀麗な形となり、「若狭富士」とも呼ばれます。
青葉山

 天橋立を自動車で出発すれば、大体の目安としては、西舞鶴の市街地まで40分、そこから東舞鶴を経て、国道27号線沿いのJR松尾寺駅まで、更に30分というところでしょうか。
 松尾寺駅を通り過ぎてすぐ、府道564号線へ進入して山道を上ります。成相寺といい、松尾寺といい、西国観音霊場は険しい山中にあります。かつて歩いて松尾寺を訪ねた善男善女は、自らに試練を課して、寺を目指したことでしょう。私が訪ねたときも、白い装束を着てリュックを背負い、山道を歩いて登られる巡礼の方を見かけました。
松尾寺山門

 松尾寺の創建は、成相寺に僅かに遅れる708年と伝えられ、今年は開山1300年に当たります。これを記念して今、本堂では本尊「馬頭観世音菩薩像」がご開帳されています。青葉山が馬耳に似た姿なのと、何か関係がありそうに思えました。
松尾寺本堂

 またこの寺は、多くの貴重な文化財を収蔵しておられます。今秋に「宝物殿」が完成し、これまで京都国立博物館へ寄託していた国宝の仏画「普賢延命像」や快慶作の「阿弥陀如来坐像」などを見せていただくことができます(有料)。
宝物殿

 境内の鐘楼の傍らに、樹齢800年の大きな銀杏の木が植わっています。舞鶴市指定天然記念物で、まもなく黄金に色づくことでしょう。
鐘楼と銀杏

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.26 Sunday

西国第28番・成相寺

 丹後には西国三十三所観音霊場が二つあって、第28番札所が宮津市の成相寺(なりあいじ)、第29番札所が舞鶴市の松尾寺(まつのおでら)です。今日は「成相寺」を訪ねてみましょう。

 成相寺の創建は704年と、非常に古い時代です。
 この寺へ行く方法は、一般的には2通りあります。股のぞきの絶景で有名な「傘松公園」から徒歩または路線バスで訪ねる方法と、自動車で国道178号線から丹後郷土資料館を経て境内駐車場へ乗り入れる方法です。
 バスの停留所「成相寺」を中心にご説明しますと、少し下ったところに赤い山門(仁王門)が建っています。
成相寺山門

 バス停留所の西側には五重塔が聳えます。2005年秋に、落慶法要が営まれました。鎌倉時代の様式で、高さ34mです。
成相寺五重塔

 本堂への階段右側には「撞かずの鐘」があり、1608年に鋳造された梵鐘にまつわる悲話が残されています。寄付を拒んだ女の抱く乳児が、融けた銅の中に落ちてしまい、できあがった鐘を撞くと、赤ん坊の泣き声が聞こえるので、撞くのをやめたというのです。
 また左側には、「一願一言の地蔵さん」が座っておられます。一つの事柄を一言でお願いすれば、どんなことでも叶えてくださるそうです。
 階段上には、成相寺の本堂が建っています。丁度、今は本尊「聖観世音菩薩像」が特別開帳されており、間近でお参りすることができます。今年は11月末まで、来年は4〜5月の間だけのご開帳で、これを逃しますと、次の機会はなんと30年後ということです。
成相寺本堂

 本堂に上がると、右側の梁に、左甚五郎作と伝わる「真向の龍」(まむきのりゅう)が掲げられています。
真向の龍
 本堂の向かって左側には、鎌倉時代の鉄湯船(重要文化財)が置かれています。
 
 本堂から車で5分ほど山道を上れば、「パノラマ展望所」へ着きます。
 ここは標高500mで、傘松公園から見るより随分高い位置から、天橋立を見下ろすことができます。
パノラマ展望所

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.22 Wednesday

大江山の雲海 〈2〉

 前回に続いて、雲海を取り上げます。
 大江山には更に有名な雲海の名所があります。私が以前、大江山の最高峰・千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ 833m)に登ったとき、車を停めておいた東側山腹の「鬼嶽(おにたけ)稲荷神社」です。どうせ雲海を見るなら、そこにも行ってみたいと思いました。

 普甲峠を越え、道を一旦下って、「日本の鬼の交流博物館」前を通り過ぎます。次の写真は、途中で見た、西の空に浮かぶ、夜明けの満月です。
夜明けの満月

 次第に夜が明けていきます。鬼嶽稲荷神社へ着いてみれば、十人余りがカメラを雲海に向けていました。なるほど、有名な展望所のようです。
 見事な雲海が一面に広がっています。日は既に昇っており、逆光の中、私も雲海を撮りました。福知山盆地が霧の中です。
 中央やや左の円錐形の山は、元伊勢内宮の近くにあって霊峰とされる、「日室ヶ嶽」(ひむろがたけ 427m)です。
鬼嶽稲荷からの雲海

 7時頃までいて、帰途に就きました。これから出勤です。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.18 Saturday

大江山の雲海 〈1〉

 秋の早朝、山間部では放射冷却で霧が発生し、山上からはそれが雲海となって見えることがあります。丹後では、大江山(おおえやま)がその名所と言われています。
 私は、家からさほど遠くない場所で雲海を見られるのを最近知り、一度見たいと思っていました。

 朝5時半に起床し、自動車のガラスに水滴が付いているのを確かめます。付いていなければ、空気中の水分が飽和状態になっていないので、雲海も見られません。
 宮津市南部の「普甲(ふこう)」への道を上ると、日の出の頃、峠付近に到着します。次の写真は、東の稜線から太陽が昇る瞬間を撮ったものです。心が洗われるような気がしました。
大江山の黎明

 雲海の下は、福知山市大江町だと思います。おそらく低地では濃い霧が立ち込めていることでしょう。画面左側の形の良い山は、「砥石岳」(といしだけ 408m)です。
大江山の雲海

 雲量がもっと多い、他人が撮った写真を、以前見たことがあります。私もそのような雲海を、一度実際に眺めてみたいと思いました。
 そこで、降雨があり湿度が高くなった翌日、好天になりそうなのを天気予報で前もって調べ、再度出かけることにしました。早朝、気温は期待したほど下がっていませんが、車体はしっかり濡れています。
 その折の模様が、次の写真です。雲量が前回とは全く違うでしょう? 砥石岳の頭だけが見えています。出かけた甲斐がありました。
再び見た雲海

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.13 Monday

味土野から碇高原へ

 前々回に山間部へ足を踏み入れたのを機に、今回も丹後半島の奥深くへ入ってみましょう。今日ご案内するのは、味土野(みどの)と碇(いかり)高原です。

 味土野は、丹後半島の最奥部と言ってもよいところで、ここには本能寺の変の後、細川忠興(ただおき)夫人・たま(明智光秀の娘)が幽閉されていました。
 丹後に伝わる話では、彼女は前々回ご紹介した世屋(せや)から味土野へ入ったらしいのですが、今は現地へ行こうとすると、西側の国道482号線から府道654号線を利用するのが一般的です。
 この写真の山々の奥懐に、彼女の隠棲地があります。このあたりから道は随分細くなります。
味土野の山野

 彼女が幽閉されていた「女城(めじろ)」へ行ってみました。この付近には、昭和初期は40戸ほどの民家があったそうですが、豪雪などで住民の大部分が去ったと言います。
 城跡に佇みますと、こんな山中に彼女は隠棲していたのかという感慨が湧いてきました。ここなら人目につかないでしょうから、この地が選ばれたことに納得してしまいます。
ガラシャ隠棲地
 彼女はやがてこの地を去り、大坂(大阪の表記は明治以後)へ移ります。そこでカトリックに帰依して、「ガラシャ」(神の恵み)という洗礼名を受けました。
 関ヶ原の合戦時、西軍の人質となるのを拒んで、彼女は死を選びます。その劇的で数奇な生涯を思うと、彼女が住んだ地に400年余を隔てて自分が立っていることが、不思議な気さえします。

 味土野から北東へ車を走らせ、蕎麦で有名な野間(のま)を過ぎますと、太鼓山(たいこやま)という丹後半島の最高峰があります(標高683m)。
 そこには風力発電所が設けられ、6基の巨大な風車が稼働しています。高さ75m、プロペラの長さが25mというのには驚きました。
太鼓山風力発電所

 更に北へ向かいます。そこには半島の中とは思えない、広々とした「碇高原牧場」が営まれています。
 ヤギや子羊が草を食むのを見ていると、心が癒されますね。
碇高原牧場
 ここは日本海が近く、天気が良ければ青い海の広がりを目にすることもできます。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.10 Friday

宮津−秋の行事

 今日は、宮津市街へ一旦戻って、秋の行事をご紹介します。

 最初は「和火」(やわらび)です。宮津市南西部の寺町周辺で、今年は10月10〜12日の午後6〜9時、7000個の灯篭を境内や道端にともします。
 この間、寺院の本堂を見ることができ、音楽演奏などの催しも行われて、普段とはまた違った、幻想的な空間を味わうことができます。
和火

 次は「丹後きものまつりin天橋立」です。着物の良さと天橋立を全国に発信するために開催され、今では秋の恒例行事として定着しています。
 今年は10月26日(日)に催され、当日は着物姿で天橋立を訪れると、様々な特典が用意されています。
きものまつり

 また、その日の夜には「ふゆ花火」が行われます。丹後に冬が近づくことを感じさせる行事で、2000発の花火が阿蘇海で打ち上げられ、天橋立を照らし出します。
ふゆ花火

 天橋立・丹後では、夏から秋にかけて多くの催物が開催され、情緒に溢れたひとときを過ごすことができます。ぜひお越しください。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.07 Tuesday

世屋高原の秋

 これまでご案内した丹後各地は、海岸に近い場所が多かったと思います。しかし、当地は内陸にもすばらしいところが多く、加悦谷や大江山を既にご紹介しました。
 これらに引き続き、今回は山間部の集落を取り上げます。

 宮津市の市域は、天橋立の北へも広がっています。その面積の大きな部分を占めるのが、「世屋(せや)高原」です。今日はそちらへ行ってみましょう。
 ところどころ狭い箇所はありますが、自動車でかなり奥まで行くことができますし、路線バスも運行しています。上世屋(かみせや)集落の秋は、ご覧のような雰囲気です。低地より少し遅れて稲が実り、稲木(いなき)に刈穂が掛けられていました。
上世屋の稔り

世屋の稲木

 この地は最近、映画の舞台にもなっています。瀬尾まいこさんの小説「天国はまだ遠く」が原作で、都会生活に疲れたOLが、自然や人々の温かさに癒されて、元気を取り戻していくという物語です。
 世屋高原や天橋立・宮津市街でロケが行われ、来月から全国の映画館で公開されるそうです。

 上世屋の集落から更に奥へ坂道を上りますと、「木子」(きご)という集落への道が分岐しています。そちらへ向かえば、やがて広大な畑が広がり、遠くに民家が点在するのが見えてきます。丹後半島の山間部に、こんなに平坦な農地があるのが不思議なくらいです。
 木子の集落には、農家のほかにペンションもあり、私が訪れたときには蕎麦の白い花が咲いていました。
木子の蕎麦畑

 木子への分岐を元の道に戻り、更に奥へ進みますと、「世屋高原家族旅行村」があります。
 域内の車道を南へUターンするように走れば、道は次第に下り坂となり、その先に棚田が広がります。実った黄金の稲穂の先には、遥かに宮津湾が眺められます。
世屋の棚田
 
 ここより先は道が細くなりますので、来られた道を引き返し、上世屋から海岸沿いの国道178号線方面へお帰りください。
 なお、旅行村から北へは「丹後縦貫林道」が通じており、スイス村や碇(いかり)高原へ行くこともできます。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.02 Thursday

小天橋と久美浜湾

 今日は丹後の西端、つまり京都府の西端を巡ります。地名で申しますと、京丹後市久美浜(くみはま)町です。

 前回の夕日ヶ浦から、弧を描きながら、砂浜が延々と続いています。
 そして、久美浜湾の入口をふさぐように延びる部分が「小天橋」(しょうてんきょう)です。砂州の延びる様子が天橋立に似ていることから、この名前が付けられたそうです。
小天橋

 久美浜湾が日本海と繋がる水路はごく狭く、湾内は海水と川水が混じり合う汽水域です。
 私は最初、湾岸に沿って車を走らせていたのですが、湾の全貌をつかみにくく、どこか展望できる場所はないか探しました。
 ありました! 湾の南東部にある「兜山」(かぶとやま)という、円錐形をした標高192mの小山です。頂上まで道路が通じていますが、幅が狭くてすれ違いが困難なため、車で行くのはお勧めできません。
 しかし、頂上の展望台からはすばらしい眺めです。ここから見ると、小天橋が日本海と久美浜湾を仕切っているのがよくわかります。
兜山からの久美浜湾

 久美浜湾の南岸では、城下町の名残を見ることができます。
 その中心が、次の写真の「豪商稲葉(いなば)本家」です。稲葉氏は美濃の稲葉一族(織田信長家臣)の末裔と言われ、江戸時代には廻船業を営み、近隣諸藩の金融を一手に担う豪商でした。
豪商稲葉本家

 湾の南西岸には、真言宗の古刹「如意寺」(にょいじ)が建っています。 関西花の寺第7番札所で、四季折々の花を楽しむことができます。とりわけ4月に咲く三つ葉躑躅(つつじ)は、濃いピンクが見事です。
如意寺仁王門

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |