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2008.11.28 Friday

うらにし

 丹後地方では晩秋から冬にかけて、北西の季節風が雨や雪を運んできます。地元ではこれを「うらにし」と呼びます。

 私は当地に1年8ヵ月ほど住みましたが、こちらは四季の変化が非常にはっきりしていて、おそらく日本人がイメージするとおりの四季なのだろうと思います。
 早春はまだ風が冷たく、陽春には桜花が咲き誇り、初夏に山々が新緑に覆われ、盛夏にはその緑が濃くなり、紺碧の海が陽光に煌めきます。
 仲秋には稲穂が黄金色に実り、晩秋には柿の実がなり、野山が赤や黄色に彩られます。初冬には海が荒れ始め、空がどんより曇ります。そして厳冬には白い世界が広がります。
 これは私たちの民族が長い歴史の中で体験してきた、典型的な日本の四季ではないでしょうか。都会に住んでおられる方にとっては、季節の移ろいに直接触れる機会が多くないかもしれませんが、丹後では常に身近なところで、繰り返し巡ってくる季節に出合うのです。

 晩秋、阿蘇海周辺の山々は紅葉が進み、ご覧のような色彩を見せます。
彩色の阿蘇海

 今年は11月19日に寒波が襲来して、こちらでも初雪が降りました。その翌日にも降雪がありました。次の写真はその折に、当ホテルから阿蘇海を隔てて、雪の積もった山々を眺めながら撮ったものです。
霜月の降雪

 これから師走に入ると、下の写真のような曇り空となり、モノトーンの世界に包まれます。
単色の阿蘇海
 空は暗いですが、蟹をはじめ、食べるものの一層美味しくなるのが、丹後の冬です。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.23 Sunday

金剛院の紅葉

 数日前、丹後でも初雪が降りました。昨年に比べて早く、紅葉の見頃が短くなるのではと気懸りです。
 今日は、丹後随一と言われる舞鶴の「金剛院」(こんごういん)の紅葉をご紹介します。この寺は、関西花の寺第3番札所にもなっています。

 以前ご案内した西国霊場の松尾寺(まつのおでら)と同様、金剛院は丹後の最東端に近い位置にあります。国道27号線の「金剛院口」という交差点から南下されますと、ほどなく寺へ行き当たります。
 駐車場の前に川が流れ、「慈恩橋」という小さな橋が架かっています。
 橋を渡ると山門がありますが、入山される前に、川を少し遡ったところにある公園へ向かわれることをお勧めします。そこからは、山を覆う紅葉に埋もれるように建つ、金剛院の三重塔を眺めることができるのです。
金剛院三重塔
 紅葉と三重塔の取り合わせが、この上なく見事ですね。

 塔を眺めた後、川に沿って慈恩橋へ戻ります。次の写真は、橋上から振り返って撮ったものです。
慈恩橋から

 山門から境内へ入り、川に沿った小道を再び三重塔へ向かいます。丹後で唯一の三重塔で、重要文化財となっております。
 塔の横の石段を上れば、頭上に紅葉が覆いかぶさり、眼下に塔が垣間見えて、寂光浄土かと思うばかりの光景が展開します。
三重塔を見下ろす

 石段上には本堂雲山閣(うんざんかく=拝殿)が建っています。地面には、銀杏の黄葉が敷き詰められていました。
本堂と雲山閣
 境内には散策路が設けられ、一周することができます。

 金剛院は829年(平安時代初期)、平城(へいぜい)天皇の皇子・高岳(たかおか)親王により、創建されたと伝わります。親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、薬子(くすこ)の変に連座して廃され、後に出家して、空海(弘法大師)の弟子になったそうです。
 しかし彼がユニークなのは、更にその後です。862年、彼は九州を経て、唐の長安へ渡りました。しかも当時の唐では仏教が弾圧され、優れた師を得られなかったため、なんと天竺(インド)まで赴こうとするのです。
 彼は華南の広州から海路、天竺を目指して出発しますが、やがて消息が途絶えました。一説に、マレー半島で死去したとも言われます。
 高貴な身分に生まれながら政局に翻弄され、仏門に入ってからの行動力も人並み外れたものです。美しい紅葉を見ながら、彼の生涯にも非常に興味を覚えた一日でした。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.19 Wednesday

大江山の彩り

 宮津市街の中央を南北に走る京街道を南下しますと、次第に道は細くなり、大江山の東側山腹の普甲(ふこう)へ向かう上り坂となります。
 現代は京都府道9号線となっていますが、江戸時代には宮津藩の公路が延びていました。石畳の山道を多くの旅人や商人が行き交ったと思われ、かつての面影が残っています。

 11月中旬、このあたりから道路の両側の木々は、赤や黄色に染まります。今日は普甲峠を越え、大江山の彩りをご紹介しましょう。
 峠を南へ下れば、木々の色がとても艶やかでした。
大江山南麓

 美しく色づいた山肌を見ながら南下し、「日本の鬼の交流博物館」への岐路を通り越してすぐのところに、「二瀬川(ふたせがわ)渓流」という谷があります。
 見上げると吊橋が架かっています。付近の駐車場に車を停め、吊橋に上ってみました。そこから渓流を眺めたのが、次の写真です。
二瀬川渓流
 緑の中の赤や黄色が綺麗でしょう? 宮津市街から車で30〜40分のところに、こんな美しい渓流があるのです。

 揺れる吊橋の感触を楽しんだ後、府道を引き返し、鬼の交流博物館への分岐へ入って、次に「鬼嶽(おにたけ)稲荷神社」を目指します。そこは大江山への登山口であり、雲海で有名であり、そして紅葉の名所でもあります。
 途中に「千丈ヶ原」(せんじょうがはら)という平坦地があり、そこから大江山の最高峰である千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ)を眺めました。
千丈ヶ原
 山腹の木々が様々に彩られて、絵のようです。

 目的地の鬼嶽稲荷神社へ着いたとき、谷間に沈んでいた雲が上昇し、景色が見えてきました。
雲が上昇

鬼嶽稲荷からの眺め
 低地では見られない、鮮やかな色彩ですね! さすが「丹後天橋立大江山国定公園」です。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.15 Saturday

宮津の錦秋

 前回のブログで、丹後では紅葉(もみじ)をそんなに見かけないと書きました。しかし勿論、見事な紅葉がないわけではありません。
 昨秋、私はすてきな紅葉を幾つか見つけました。今日は、宮津市街の秋を訪ねてみましょう。

 最初は、当ホテルから天橋立ビューランドへ行く途中で見かけた大きな楓の木です。葉全体が輝くような黄色に染まっていました。
文珠の黄葉

 また、私が北近畿タンゴ鉄道に乗って車窓を眺めていると、如願寺川を渡るときに偶然、鮮やかな紅葉を目にしました。列車を降りた後、改めて現地へ行って撮ったのが、次の写真です。
如願寺川の紅葉
 川を渡ったところにあるのが「如願寺」(にょがんじ)で、1024年開創の古刹です。江戸時代初期(17世紀後半)に建立された本堂・仁王門が、京都府指定文化財となっております。

 如願寺の北に、「山王宮日吉(さんのうぐう ひよし)神社」が隣接しています。同社の例祭が「宮津祭」であることは、8月23日のブログでもご紹介しました。
 この境内で山茶花(さざんか)の巨木が、無数の淡いピンクの花を咲かせていました。樹高9m、枝張り10mと言われ、宮津市指定天然記念物となっています。
山王宮の大山茶花
 周囲には紅葉も散見され、宮津の秋の彩りを満喫することができます。

〔注〕 これらの見頃は、今年は来週あたりになりそうです。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.10 Monday

筒川の晩秋

 舟屋で有名な伊根から、国道178号線を北上しますと、半島を走っているとは思えないような山河が、ほどなく車窓に展開します。

 このあたりを流れる筒川(つつかわ)流域には、8月17日のブログでもご紹介した「浦嶋神社」があるなど、浦島太郎の伝承が今に息づいています。
 神社に伝わる由緒書では、浦島太郎は元々「浦嶋子」(うらのしまこ)という名前で、西暦478年に「常世(とこよ)の国」へ行き、825年に帰って来たのだそうです。時の淳和(じゅんな)天皇はこの話を聞き、浦嶋子を「筒川大明神」と名付け、小野篁(おののたかむら)を勅使として宮殿を造営させたと言います。
浦嶋神社
 境内資料室には、室町時代作とされる玉手箱も伝わっています。

 筒川に沿って河口へ下り、本庄浜(ほんじょうはま)に佇んで海を眺めますと、沖には、まず近くに鯛釣岩(たいつりいわ)、遠くに沓島(くつじま)を見ることができます。沓島の右側には更に冠島(かんむりじま)もあるのですが、この位置からは見えません。
本庄浜
 いかにも浦島太郎が帰って来た浜辺という感じがしませんか?

 筒川を遡ります。盆地状になっている流域には田畑が広がっています。更に奥へ進みますと、山々が次第に色づいてきました。緑の中に赤や黄色が点在して綺麗です。
木々が色づく

 以前、晩秋に京都の寺社の庭で、燃えるような紅葉(もみじ)を見ていた私は、丹後へ来て、この木をそんなに見かけないのに気づきました。京都では長い歴史をかけて、作庭を重ねてきたから目立つのでしょうね。
 そのかわり丹後半島では、山々全体が黄色に彩られるところが多く、行く秋を感じさせます。
全山が黄色に
 この辺の名産に「筒川蕎麦」があり、私も大好きです。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.04 Tuesday

伊根の舟屋

 8月14日のブログで、天橋立から伊根(いね)までの道をご案内しましたが、今日は伊根の舟屋(ふなや)をもう少し詳しくご紹介します。
 
 私が初めて伊根の舟屋を知ったのは、1993(平成5)年に放映されたNHKの朝の連続ドラマ「ええにょぼ」でした。神戸の医大を卒業した新婚の女性研修医が、故郷の伊根に近い病院へ単身赴任し、遠距離夫婦のすれ違いや嫁姑問題に悩みながらも、医師として成長していく姿を描いたストーリーだったと記憶しています。
 当時、私は週末に神戸の街を歩くことが多かったので、神戸に親近感を持っていました。一方で伊根という地名は、その頃に初めて聞いたような気がします。
 因みに、「ええにょぼ」とは丹後方言で美人という意味だそうですが、私は今なお当地で直接、この言葉を(地酒の名前以外)耳にしたことがありません。

 さて、伊根の舟屋は今や有名な観光名所となっております。天橋立へ来られるお客様も、多く足を運ばれます。天橋立から伊根までの所要時間は、自動車を運転されて40分、路線バスに乗られて55分というところです。
 自動車の場合、国道178号線を進み、伊根町役場手前の交差点を右折されますと、舟屋群が建ち並ぶ集落へ行くことができます。
 舟屋は海から直接、船を民家の1階へ収容できるようにした構造で、現在約230軒あると言われています。今日は、舟屋や伊根湾をよく見るために、伊根湾めぐりの遊覧船に乗ってみましょう。私も昨秋、同じコースを体験してみました。
朝の伊根湾へ

 伊根湾は丹後では珍しく、南側が開けた入江です。日本海の荒波を防ぐ、天然の良港と言えるでしょう。
 遊覧船が出航しますと、乗船客の手にする「えびせん」を期待してか、多くのカモメが船を追いかけてきます。一説に、カモメは最近では魚よりも「えびせん」を好むとも聞きます。どうなのでしょうか?
 時折、カモメより大きいトンビまで舞い降りてきます。
遊覧船とカモメ

 遊覧船が伊根湾に入ります。湾口には「青島」(あおしま)という小島があり、蛭子(えびす)神社が祀られています。
 湾内にはところどころ、いけす筏が浮かび、浮桟橋のような場所で魚釣りをしている人もいました。舟屋群はぎっしりと並び、背後にはすぐ山が迫っています。
舟屋群
 瀬戸内出身の私は、潮の干満の差は大きいものだと思って育ちました。その目で見ますと、丹後の海は干満差が非常に小さく、それゆえに舟屋も成り立つのでしょう。
 船は湾内を一周し、30分の航海を終えて、元の船着場へ戻ります。

 その後、高台にある道の駅「舟屋の里伊根」(舟屋の里公園)へ行って、先ほど遊覧したばかりの伊根湾を見下ろしました。陽光を浴びて、水面が輝いています。
伊根湾を見下ろす

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |