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2008.08.29 Friday

西舞鶴付近

 舞鶴市は明治以来、幾度も周辺町村が合併し、現在の市域になりました。
 舞鶴湾という天然の良港に恵まれ、明治30年代には、東部に軍港(海軍・舞鶴鎮守府)が置かれました。今でも貿易や漁業の西舞鶴、自衛隊桟橋や煉瓦建築の東舞鶴と、街の雰囲気も大きく異なります。
 前回の由良から、今回は西舞鶴へ足を延ばしてみます。

 最近来客が増えた施設に、舞鶴市西部の「道の駅舞鶴港とれとれセンター」があります。その名のとおり水揚げされた魚介類が店内に並べられ、自分の食べたい魚や貝を買うと、その場で焼いてくれて、すぐに食べることができます。野趣溢れる雰囲気が人気なのでしょう。いつも昼頃には多くの来客で賑わいます。
 その前の国道175号線を東進し、出合う国道27号線を南下しますと、西舞鶴駅に近いところに、「田辺(たなべ)城跡」があります。
 元々は、宮津を本拠とした細川幽斎が、隠居後の城として築いたもので、関ヶ原の合戦時の籠城戦で有名です。江戸時代に城主が幾度か変わり、明治初年に廃城となりましたが、1992(平成4)年に現在の城門が完成しました。資料館もあり、歴代城主や市史を紹介しています。因みに、田辺城の雅称が「舞鶴(ぶかく)城」で、これが後に市の名称となったそうです。
田辺城城門

 次の写真は、奈良時代に行基が開創したと伝わる古刹「円隆寺」(えんりゅうじ)で、西舞鶴駅の西方に建っています。その北側には、桂林寺(けいりんじ)ほか多くの神社仏閣が並びます。
円隆寺

 舞鶴市の市街地は、山地で幾つかに分けられています。そんな山の一つが「五老ヶ岳」(ごろうがたけ)で、展望台(海抜325m)からは舞鶴湾が一望できます。近畿百景の第1位にも選ばれました。
五老ヶ岳からの舞鶴湾

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |

2008.08.26 Tuesday

奈具海岸から由良へ

 今回は、宮津から東へ向かってみましょう。

 宮津市街から車で国道178号線を東へ進み、栗田(くんだ)半島の付け根を走り過ぎると、ある瞬間、劇的に雄大な海原に出合います。このあたりを「奈具(なぐ)海岸」と言います。
 宮津湾の周囲が陸地に囲まれているのに対し、奈具海岸は若狭湾の奥ながら、日本海の水平線が遥かに見えて、非常に開放的な印象です。その名はさほど知られていませんが、宮津と舞鶴の間にあって、丹後地方が日本海沿いにあることを実感させる、ロマン溢れる風光明媚な海岸だと、私は思います。
奈具海岸

 断崖に沿って数分ほど海岸道路を走ると、由良(ゆら)の「汐汲浜」(しおくみはま)に着きます。森鷗外の小説「山椒大夫」で有名なところで、いかにも安寿が潮を汲んでいたことを彷彿させるような名前です。
由良の汐汲浜

 現在は海水浴場となっている由良海岸に沿って国道を行き、由良川を遡れば、まず左側に「由良川橋梁」が架かっています。1924(大正13)年に完成したという鉄橋で、川幅は約550mもあります。川面からの高さが僅か3mほどの橋なので、水量が多い滔々とした流れを列車で渡ると、まるで水上を滑っているようです。
由良川鉄橋

 鉄橋から国道へ戻ってほどなく、今度は右手に「安寿と厨子王の像」が見えてきます。森鷗外の小説では、丹後を逃れて都へ上った厨子王は、関白・藤原師実(もろざね)に出会います。師実といえば、藤原氏全盛期を築いた道長(みちなが)の孫、頼通(よりみち)の子ですから、平安後期(11世紀終盤)の時代設定でしょうか。
 そのまま史実とは言えないにしろ、古代以来の長い歴史を誇る丹後を舞台とした、一挿話ではあります。
安寿と厨子王の像

 由良川を更に遡り、次の橋を右岸へ渡ると、山裾に「安寿姫塚」があるのですよ。塚の傍には大きな池まであり、池畔に佇むと、自らを犠牲にして弟を逃がした安寿が、実際にここへ身を投げたかのように思えて、哀しい気分になってきました。
安寿姫塚の池

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |

2008.08.23 Saturday

宮津市街を歩く

 再び天橋立へ戻って、今回は東の宮津市街を歩いてみます。
 宮津は古来、丹後国の中心地でした。戦国時代末期、細川幽斎(ゆうさい)が宮津に城を築き、城下町ができました。江戸時代になり、藩主は京極氏から幕末の本庄氏まで、度々変わりましたが、北前船の寄港地であったのをはじめ、近世・近代と繁栄を続けました。
 現在の宮津市は、天橋立の南と北に市域が広がっています。人口は2万人ほどに過ぎないものの、宮津駅の西の狭い範囲に住宅が密集していますので、中心部の集積は高いと思います。
 一般に市街地というと、コンクリートのビルが建ち並ぶと思いがちですが、宮津駅から西の旧市街(本町通り)などを歩きますと、木造家屋が多く、ノスタルジーに満ちており、古き良き時代が偲ばれます。
 ブログでは、具体的に道筋をご案内するのは困難ですから、ホテルや観光案内所などにある散策マップをご覧ください。ここでは、幾つかの見どころを写真でご紹介します。

 まず市街の西方にある「山王宮日吉(さんのうぐう ひよし)神社」です。滋賀県大津市の日吉神社を勧請したもので、5月15日の例祭が「宮津祭」と呼ばれ、浮太鼓(うきだいこ)・太神楽(だいかぐら)・神輿還御(みこしかんぎょ)が行われます。
山王宮日吉神社

 次は、市街地の中にある「旧三上(みかみ)家住宅」(重要文化財)です。元禄時代創業の豪商で、かつて酒造・廻船・糸問屋を営み、宮津の発展に大いに尽くしました。明治維新時にはこの屋敷が、山陰道鎮撫総督・西園寺公望の宿舎となりました。邸内の庭や座敷・台所など、見どころも豊富です。
旧三上家住宅

 宮津市街の南西部・金屋谷(かなやだに)には、俳人・与謝蕪村が3年間も滞在したという「見性寺」(けんしょうじ)、徳川綱吉の生母・桂昌院の実家である本庄家の菩提寺「大頂寺」(だいちょうじ:下の写真)など、多くの寺院が建ち、寺町を形成しています。
大頂寺

 宮津市役所の西側には、「カトリック宮津教会」が建っています。1896(明治29)年の建築で、フランスから宮津へやって来たルイ・ルラーブ神父のもとで献堂式が行われました。長崎の大浦天主堂に次ぎ、国内で2番目に古い教会です。堂内には畳が敷かれていて、当時の礼拝の様子が窺えます。堂内は、ミサや礼拝時を除き、見せていただけます。
カトリック宮津教会

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |

2008.08.20 Wednesday

経ヶ岬から立岩へ

 今回も引き続き、丹後半島を巡ります。

 最北端の経ヶ岬から西へ、国道178号線を車で走りますと、最初に現れるのは、袖志(そでし)という集落で、海岸近くの道路に沿って、民家が軒を並べています。家並みの背後の山腹には、見事な棚田が営まれており、「日本棚田百選」にも名を連ねているところです。
 車を一旦降りて、棚田の間を縫う農道から見下ろせば、海と、浜辺に迫る田と、それらに挟まれるように集まる家々が、非常に印象的です。
袖志の棚田

 袖志の西隣には、尾和(おわ)という集落があります。袖志に比べてなだらかな地形になりますが、やはり海の傍まで水田が作られていて、特徴ある形の犬ヶ岬(いぬがみさき)が遥かに見えてきます。
尾和からの犬ヶ岬

 国道は時折大きなカーブを描き、美しい砂浜と荒々しい磯浜が、入れ替わり右側に現れます。
 犬ヶ岬の手前に、「丹後松島」(たんごまつしま)という展望の名所があります。これまで通って来た砂浜・磯浜の景色をここから振り返ると、海に小島の浮かぶ「陸奥松島」に似ていることから、こう呼ばれるのでしょう。
丹後松島

 犬ヶ岬のトンネルを抜けると、ほどなく「屏風岩」(びょうぶいわ)が見えてきます。波の浸食でできた、高さ13mの奇岩です。
 更に進めば、「立岩」(たていわ)があります。玄武岩で柱状の割れ目があり、高さは20mです。春から夏は一般に波が穏やかですが、晩秋から冬にかけて日本海が荒れると、この岩より高い波しぶきが上がることも珍しくありません。
 屏風岩と立岩の夏の写真は、7月23日のブログでご紹介しております。

 立岩のあるあたりには、竹野川(たけのがわ)が流れ込みます。近くには第9代開化天皇の妃・竹野姫(たかのひめ)が天照大神を祀ったのに始まるとされる「竹野(たかの)神社」や、日本海三大古墳の一つ「神明山(しんめいやま)古墳」(全長190m、5世紀初頭)などがあり、古くから開けた地域であったことが窺えます。

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |

2008.08.17 Sunday

伊根から経ヶ岬へ

 昨夜は、宮津で「灯篭流し花火大会」が行われました。この催しは、いかにも行く夏を惜しむ風物詩という趣がします。あいにく断続的に雨に見舞われたのが残念でした。
 今日は前回に引き続き、丹後半島東部をご案内します。

 伊根の「舟屋の里公園」を自動車で出発して、まもなく出合う国道178号線は、蒲入(かまにゅう)から経ヶ岬(きょうがみさき)へと繋がる道です。
 公園からしばらくは、半島とは思えないほどの山中を進みます。JA伊根支店前を過ぎれば、ほどなく浦島太郎に因む「浦嶋(うらしま)神社」が右手に見えてきます。
 この伝説は日本各地に残っていますが、丹後のものが最古とされ(丹後国風土記)、平安時代初期には既に、筒川(つつかわ)大明神として祀られていたそうです。
浦嶋神社

 神社から国道へ戻り、北上を続けると、道は再び山中を走ります。下り坂を進むうちに、蒲入漁港が見えてきます。ここまで来ると、経ヶ岬もそんなに遠くありません。
蒲入漁港

 漁港を過ぎたら、その先は断崖の道となります。このあたりは「カマヤ海岸」と呼ばれ、美しい海岸線が続きます。ところどころに設けられた展望所から海を覗き込むと、水が澄み、海底まで透き通って見えるのですよ。
カマヤ海岸

 断崖の道を進むうちに、伊根町から京丹後市へ入ります。「経ヶ岬レストハウス」の手前を右折すれば、やがて経ヶ岬の駐車場へ行き着きます。車を降りたとき、見えるのは広漠たる大海原です。ここは近畿地方の最北端なのです。
 駐車場の奥の方まで歩いて振り返ると、白亜の灯台が見えました。全国に6台しかない、第一等レンズを使用しているそうです。
経ヶ岬

 今回は、国道178号線に沿った地域を巡りました。
 舟屋の里公園から国道を進まず、東側の海岸近くを走りますと(道は細いのですが)、秦の徐福が上陸したと伝えられる「新井崎」(にいざき)、断崖が美しい「のろせ海岸」、入江の海水浴場「泊」(とまり)、沖に若狭湾の島が見える「本庄浜」(ほんじょうはま)など、珠玉のような風景が次々と展開します。
 機会がありましたら、こちらもお楽しみください。

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |