今回は、宮津から東へ向かってみましょう。
宮津市街から車で国道178号線を東へ進み、栗田(くんだ)半島の付け根を走り過ぎると、ある瞬間、劇的に雄大な海原に出合います。このあたりを「奈具(なぐ)海岸」と言います。
宮津湾の周囲が陸地に囲まれているのに対し、奈具海岸は若狭湾の奥ながら、日本海の水平線が遥かに見えて、非常に開放的な印象です。その名はさほど知られていませんが、宮津と舞鶴の間にあって、丹後地方が日本海沿いにあることを実感させる、ロマン溢れる風光明媚な海岸だと、私は思います。
断崖に沿って数分ほど海岸道路を走ると、由良(ゆら)の「汐汲浜」(しおくみはま)に着きます。森鷗外の小説「山椒大夫」で有名なところで、いかにも安寿が潮を汲んでいたことを彷彿させるような名前です。
現在は海水浴場となっている由良海岸に沿って国道を行き、由良川を遡れば、まず左側に「由良川橋梁」が架かっています。1924(大正13)年に完成したという鉄橋で、川幅は約550mもあります。川面からの高さが僅か3mほどの橋なので、水量が多い滔々とした流れを列車で渡ると、まるで水上を滑っているようです。
鉄橋から国道へ戻ってほどなく、今度は右手に「安寿と厨子王の像」が見えてきます。森鷗外の小説では、丹後を逃れて都へ上った厨子王は、関白・藤原師実(もろざね)に出会います。師実といえば、藤原氏全盛期を築いた道長(みちなが)の孫、頼通(よりみち)の子ですから、平安後期(11世紀終盤)の時代設定でしょうか。
そのまま史実とは言えないにしろ、古代以来の長い歴史を誇る丹後を舞台とした、一挿話ではあります。
由良川を更に遡り、次の橋を右岸へ渡ると、山裾に「安寿姫塚」があるのですよ。塚の傍には大きな池まであり、池畔に佇むと、自らを犠牲にして弟を逃がした安寿が、実際にここへ身を投げたかのように思えて、哀しい気分になってきました。
2008.08.26 Tuesday
奈具海岸から由良へ