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2008.08.23 Saturday

宮津市街を歩く

 再び天橋立へ戻って、今回は東の宮津市街を歩いてみます。
 宮津は古来、丹後国の中心地でした。戦国時代末期、細川幽斎(ゆうさい)が宮津に城を築き、城下町ができました。江戸時代になり、藩主は京極氏から幕末の本庄氏まで、度々変わりましたが、北前船の寄港地であったのをはじめ、近世・近代と繁栄を続けました。
 現在の宮津市は、天橋立の南と北に市域が広がっています。人口は2万人ほどに過ぎないものの、宮津駅の西の狭い範囲に住宅が密集していますので、中心部の集積は高いと思います。
 一般に市街地というと、コンクリートのビルが建ち並ぶと思いがちですが、宮津駅から西の旧市街(本町通り)などを歩きますと、木造家屋が多く、ノスタルジーに満ちており、古き良き時代が偲ばれます。
 ブログでは、具体的に道筋をご案内するのは困難ですから、ホテルや観光案内所などにある散策マップをご覧ください。ここでは、幾つかの見どころを写真でご紹介します。

 まず市街の西方にある「山王宮日吉(さんのうぐう ひよし)神社」です。滋賀県大津市の日吉神社を勧請したもので、5月15日の例祭が「宮津祭」と呼ばれ、浮太鼓(うきだいこ)・太神楽(だいかぐら)・神輿還御(みこしかんぎょ)が行われます。
山王宮日吉神社

 次は、市街地の中にある「旧三上(みかみ)家住宅」(重要文化財)です。元禄時代創業の豪商で、かつて酒造・廻船・糸問屋を営み、宮津の発展に大いに尽くしました。明治維新時にはこの屋敷が、山陰道鎮撫総督・西園寺公望の宿舎となりました。邸内の庭や座敷・台所など、見どころも豊富です。
旧三上家住宅

 宮津市街の南西部・金屋谷(かなやだに)には、俳人・与謝蕪村が3年間も滞在したという「見性寺」(けんしょうじ)、徳川綱吉の生母・桂昌院の実家である本庄家の菩提寺「大頂寺」(だいちょうじ:下の写真)など、多くの寺院が建ち、寺町を形成しています。
大頂寺

 宮津市役所の西側には、「カトリック宮津教会」が建っています。1896(明治29)年の建築で、フランスから宮津へやって来たルイ・ルラーブ神父のもとで献堂式が行われました。長崎の大浦天主堂に次ぎ、国内で2番目に古い教会です。堂内には畳が敷かれていて、当時の礼拝の様子が窺えます。堂内は、ミサや礼拝時を除き、見せていただけます。
カトリック宮津教会

Author : 天橋立ホテル | 夏の丹後 |