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2008.12.15 Monday

日本海の風濤 〈1〉

 私が丹後地方に住むようになって、夏の日本海が青く煌めくのに驚いたことは、これまでブログに何度も書かせていただきました。
 しかし一方で、冬の日本海の荒波こそ、ぜひ見てみたいものだと密かに思っていました。
 もっとも、冬になればいつも海が荒れているのではありません。それでも北西の季節風が吹くこの時季は、他の季節よりも、荒れる海を見ることのできる割合が多くなります。

 先日、知人を案内して丹後半島の北岸をドライブしていたとき、視界に入る海を見て、時節柄、波が高くなってきたと思いました。
 まずは観光名所の「丹後松島」(たんごまつしま)です。
初冬の丹後松島
 寄せてくる波が、静かな季節とは違います。

 西へ向かい、竹野川河口の玄武岩「立岩」(たていわ)へ寄ってみました。春先からの護岸工事が終わり、付近の砂浜に人影は見られません。
 それまでの曇り空が晴れ、海が青くなってきました。立岩を撮ろうとデジカメを構えていましたら、押し寄せる波浪が立岩に激突し、飛沫が高く上がりました。それを見て、急いでシャッターを切ったのが、次の写真です。
初冬の立岩
 立岩は高さが20mあります。それを越えて飛沫が上がる、驚くべき迫力を感じ取っていただけますか?

 立岩の傍には、「間人(はしうど)皇后と聖徳太子」の母子像が、まるで海の彼方を見つめるように立っています。
 以前(9月22日)のブログでご紹介したときは、明るい浜辺の写真を載せましたが、改めて初冬の夕暮れ時に訪れてみると、全く違った像のように寂しく感じます。
海を眺める像

 次回のブログでは、薄暗い空の下、沖から寄せてくる、冬の日本海の波濤をご紹介します。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.09 Tuesday

平地地蔵

 京丹後市大宮町の上常吉(かみつねよし)に、「平地地蔵」(へいじじぞう)という、高さ5.3mもある京都府内最大のお地蔵様が立っておられます。

 今春、峰山から加悦方面へ行こうと府道76号線を通っているとき、私はこのお地蔵様を偶然見つけました。折しも満開の桜の下、巨像ながら柔和な表情を仰ぎ見て、心が大層和んだことを覚えています。
桜の下の地蔵
 お顔にアザのような黒点があるところから、「アザ取り地蔵」とも呼ばれています。

 11月下旬、地元の方々が冬に備えて、このお地蔵様に、藁で編んだ頭巾と蓑を着ける習わしがあります。これを知った私は、ぜひ見てみたいと思いました。
 現地を訪れると、暖かそうに冬支度を済ませたお地蔵様が立っておられました。なんと微笑ましい光景なのでしょう! 昔話で読んだ、雪の中の笠地蔵を思い出しました。
蓑を着けた地蔵

 平地地蔵は、傍らにある説明文には「江戸時代後期の1832(天保3)年、山賊退散のために建立された」旨が記されています。
 しかし、地元の寺に伝わる文書によると、次のようなエピソードがあるようです。
 1822(文政5)年、財政難に陥った宮津藩が人頭税を課したことに、領民が反発して「文政一揆」が起こりました。農民たちの廃止要求は通りましたが、一揆のリーダー(新兵衛ら)は藩に捕えられ、過酷な拷問にも怯まず、処刑されたのです。
 彼らの供養のため、村人たちは浄財を出し合い、近くの谷から仏相を備えた巨石を掘り起こし、近隣の村に住む石工・松助が地蔵立像を彫ったということです。

 今は平穏な当地に、このような哀しい歴史があったのですね。
 蓑を着せてもらったお地蔵様を見ておりますと、自らを犠牲にして村人を救った義民を追慕する、丹後の人々に受け継がれた温かい心根が、痛いほど伝わってくるのです。
 当ホテルから南東へ700mほど行った路傍にも、文政一揆に関して「義士義民の碑」が建てられております。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.12.04 Thursday

由良ヶ岳に登る

 山歩きの好きな私が丹後へ来て最初に登ったのが、今年4月、京丹後市峰山町の「磯砂山」(いさなごさん 661m)でした。この地に伝わる羽衣天女伝説に惹かれたのですが、写真には春の花が写っておりますので、来春ブログでお知らせしようと思います。
 次に登ったのが7月、酒呑童子(しゅてんどうじ)の伝説で有名な「大江山」(最高峰・千丈ヶ嶽 せんじょうがたけ 833m)で、こちらは9月17日のブログでご紹介しました。
 今日ご案内するのは、私が丹後で三つ目に登った「由良ヶ岳」(ゆらがたけ 640m)です。

 宮津から舞鶴方面へ向けて、国道178号線を車で走りますと、由良の汐汲浜(しおくみはま)へ着く頃、この山は突如として、眼前に雄大な山容を現すのです。
 運転中ですから見とれるわけにはいきませんが、私は目にする都度、一度登ってみたいと思っていました。上記の二つの山と同様、この山も伝説を持っています。麓に山椒大夫の屋敷があり、厨子王が薪づくりをしたというのです。

 11月末、私の山仲間が当ホテルへ泊ってくれることになり、その折に私も一緒に由良ヶ岳へ登ることにしました。十人近い同行者を得て、今回は熊も怖くありません。
 登山の起点は、北近畿タンゴ鉄道の丹後由良駅です。
丹後由良駅から

 予め調べていた登山道へ足を踏み入れました。1合目から順番に標識が立っており、道に迷うことはありません。
 花崗岩が削られて溝状になっている道を行き、枯葉に一面覆われた道を登ります。
落ち葉の山道

 登山道の半ばを過ぎると、杉林の中を歩きます。稜線の近くには笹が生え、道も湿って滑りやすくなります。
 由良ヶ岳は東西に峰があり、鞍部から道が分かれます。駅を出てから鞍部まで、休憩も挟み1時間半ほどかかりました。
 そして、まず東峰へ向かいます。頂上に立つと、四方に視界が開け、眼下に由良川や大浦半島が見えます。ここには標高585mとの標識があるのですが、私の目には最高峰とされる西峰(640m)と同じくらいの高さに映りました。
東峰から
 頂上には虚空蔵菩薩が祀られ、多くの石が積まれていました。

 続いて、もう一つの山頂である西峰を目指します。ほどなく着いた頂上からは、栗田(くんだ)半島や天橋立が眺められます。
西峰から

 西峰の山頂で昼食を済ませ、下山を始めました。鞍部へ向かう道筋は木々の葉が落ち、遠くを見通せて明るい印象です。
冬枯れの山道

 滑りやすい急坂は、下山の方が大変です。しかし日が傾く頃には、全員が無事、下山できました。
 天候が変わりやすい晩秋ですが、幸い終日、好天に恵まれました。夕刻には当ホテルで、天然温泉に浸かり、蟹鍋を囲みます。

Author : 天橋立ホテル | 冬の丹後 |

2008.11.28 Friday

うらにし

 丹後地方では晩秋から冬にかけて、北西の季節風が雨や雪を運んできます。地元ではこれを「うらにし」と呼びます。

 私は当地に1年8ヵ月ほど住みましたが、こちらは四季の変化が非常にはっきりしていて、おそらく日本人がイメージするとおりの四季なのだろうと思います。
 早春はまだ風が冷たく、陽春には桜花が咲き誇り、初夏に山々が新緑に覆われ、盛夏にはその緑が濃くなり、紺碧の海が陽光に煌めきます。
 仲秋には稲穂が黄金色に実り、晩秋には柿の実がなり、野山が赤や黄色に彩られます。初冬には海が荒れ始め、空がどんより曇ります。そして厳冬には白い世界が広がります。
 これは私たちの民族が長い歴史の中で体験してきた、典型的な日本の四季ではないでしょうか。都会に住んでおられる方にとっては、季節の移ろいに直接触れる機会が多くないかもしれませんが、丹後では常に身近なところで、繰り返し巡ってくる季節に出合うのです。

 晩秋、阿蘇海周辺の山々は紅葉が進み、ご覧のような色彩を見せます。
彩色の阿蘇海

 今年は11月19日に寒波が襲来して、こちらでも初雪が降りました。その翌日にも降雪がありました。次の写真はその折に、当ホテルから阿蘇海を隔てて、雪の積もった山々を眺めながら撮ったものです。
霜月の降雪

 これから師走に入ると、下の写真のような曇り空となり、モノトーンの世界に包まれます。
単色の阿蘇海
 空は暗いですが、蟹をはじめ、食べるものの一層美味しくなるのが、丹後の冬です。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.11.23 Sunday

金剛院の紅葉

 数日前、丹後でも初雪が降りました。昨年に比べて早く、紅葉の見頃が短くなるのではと気懸りです。
 今日は、丹後随一と言われる舞鶴の「金剛院」(こんごういん)の紅葉をご紹介します。この寺は、関西花の寺第3番札所にもなっています。

 以前ご案内した西国霊場の松尾寺(まつのおでら)と同様、金剛院は丹後の最東端に近い位置にあります。国道27号線の「金剛院口」という交差点から南下されますと、ほどなく寺へ行き当たります。
 駐車場の前に川が流れ、「慈恩橋」という小さな橋が架かっています。
 橋を渡ると山門がありますが、入山される前に、川を少し遡ったところにある公園へ向かわれることをお勧めします。そこからは、山を覆う紅葉に埋もれるように建つ、金剛院の三重塔を眺めることができるのです。
金剛院三重塔
 紅葉と三重塔の取り合わせが、この上なく見事ですね。

 塔を眺めた後、川に沿って慈恩橋へ戻ります。次の写真は、橋上から振り返って撮ったものです。
慈恩橋から

 山門から境内へ入り、川に沿った小道を再び三重塔へ向かいます。丹後で唯一の三重塔で、重要文化財となっております。
 塔の横の石段を上れば、頭上に紅葉が覆いかぶさり、眼下に塔が垣間見えて、寂光浄土かと思うばかりの光景が展開します。
三重塔を見下ろす

 石段上には本堂雲山閣(うんざんかく=拝殿)が建っています。地面には、銀杏の黄葉が敷き詰められていました。
本堂と雲山閣
 境内には散策路が設けられ、一周することができます。

 金剛院は829年(平安時代初期)、平城(へいぜい)天皇の皇子・高岳(たかおか)親王により、創建されたと伝わります。親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、薬子(くすこ)の変に連座して廃され、後に出家して、空海(弘法大師)の弟子になったそうです。
 しかし彼がユニークなのは、更にその後です。862年、彼は九州を経て、唐の長安へ渡りました。しかも当時の唐では仏教が弾圧され、優れた師を得られなかったため、なんと天竺(インド)まで赴こうとするのです。
 彼は華南の広州から海路、天竺を目指して出発しますが、やがて消息が途絶えました。一説に、マレー半島で死去したとも言われます。
 高貴な身分に生まれながら政局に翻弄され、仏門に入ってからの行動力も人並み外れたものです。美しい紅葉を見ながら、彼の生涯にも非常に興味を覚えた一日でした。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |