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2008.11.23 Sunday

金剛院の紅葉

 数日前、丹後でも初雪が降りました。昨年に比べて早く、紅葉の見頃が短くなるのではと気懸りです。
 今日は、丹後随一と言われる舞鶴の「金剛院」(こんごういん)の紅葉をご紹介します。この寺は、関西花の寺第3番札所にもなっています。

 以前ご案内した西国霊場の松尾寺(まつのおでら)と同様、金剛院は丹後の最東端に近い位置にあります。国道27号線の「金剛院口」という交差点から南下されますと、ほどなく寺へ行き当たります。
 駐車場の前に川が流れ、「慈恩橋」という小さな橋が架かっています。
 橋を渡ると山門がありますが、入山される前に、川を少し遡ったところにある公園へ向かわれることをお勧めします。そこからは、山を覆う紅葉に埋もれるように建つ、金剛院の三重塔を眺めることができるのです。
金剛院三重塔
 紅葉と三重塔の取り合わせが、この上なく見事ですね。

 塔を眺めた後、川に沿って慈恩橋へ戻ります。次の写真は、橋上から振り返って撮ったものです。
慈恩橋から

 山門から境内へ入り、川に沿った小道を再び三重塔へ向かいます。丹後で唯一の三重塔で、重要文化財となっております。
 塔の横の石段を上れば、頭上に紅葉が覆いかぶさり、眼下に塔が垣間見えて、寂光浄土かと思うばかりの光景が展開します。
三重塔を見下ろす

 石段上には本堂雲山閣(うんざんかく=拝殿)が建っています。地面には、銀杏の黄葉が敷き詰められていました。
本堂と雲山閣
 境内には散策路が設けられ、一周することができます。

 金剛院は829年(平安時代初期)、平城(へいぜい)天皇の皇子・高岳(たかおか)親王により、創建されたと伝わります。親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、薬子(くすこ)の変に連座して廃され、後に出家して、空海(弘法大師)の弟子になったそうです。
 しかし彼がユニークなのは、更にその後です。862年、彼は九州を経て、唐の長安へ渡りました。しかも当時の唐では仏教が弾圧され、優れた師を得られなかったため、なんと天竺(インド)まで赴こうとするのです。
 彼は華南の広州から海路、天竺を目指して出発しますが、やがて消息が途絶えました。一説に、マレー半島で死去したとも言われます。
 高貴な身分に生まれながら政局に翻弄され、仏門に入ってからの行動力も人並み外れたものです。美しい紅葉を見ながら、彼の生涯にも非常に興味を覚えた一日でした。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |