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2008.10.07 Tuesday

世屋高原の秋

 これまでご案内した丹後各地は、海岸に近い場所が多かったと思います。しかし、当地は内陸にもすばらしいところが多く、加悦谷や大江山を既にご紹介しました。
 これらに引き続き、今回は山間部の集落を取り上げます。

 宮津市の市域は、天橋立の北へも広がっています。その面積の大きな部分を占めるのが、「世屋(せや)高原」です。今日はそちらへ行ってみましょう。
 ところどころ狭い箇所はありますが、自動車でかなり奥まで行くことができますし、路線バスも運行しています。上世屋(かみせや)集落の秋は、ご覧のような雰囲気です。低地より少し遅れて稲が実り、稲木(いなき)に刈穂が掛けられていました。
上世屋の稔り

世屋の稲木

 この地は最近、映画の舞台にもなっています。瀬尾まいこさんの小説「天国はまだ遠く」が原作で、都会生活に疲れたOLが、自然や人々の温かさに癒されて、元気を取り戻していくという物語です。
 世屋高原や天橋立・宮津市街でロケが行われ、来月から全国の映画館で公開されるそうです。

 上世屋の集落から更に奥へ坂道を上りますと、「木子」(きご)という集落への道が分岐しています。そちらへ向かえば、やがて広大な畑が広がり、遠くに民家が点在するのが見えてきます。丹後半島の山間部に、こんなに平坦な農地があるのが不思議なくらいです。
 木子の集落には、農家のほかにペンションもあり、私が訪れたときには蕎麦の白い花が咲いていました。
木子の蕎麦畑

 木子への分岐を元の道に戻り、更に奥へ進みますと、「世屋高原家族旅行村」があります。
 域内の車道を南へUターンするように走れば、道は次第に下り坂となり、その先に棚田が広がります。実った黄金の稲穂の先には、遥かに宮津湾が眺められます。
世屋の棚田
 
 ここより先は道が細くなりますので、来られた道を引き返し、上世屋から海岸沿いの国道178号線方面へお帰りください。
 なお、旅行村から北へは「丹後縦貫林道」が通じており、スイス村や碇(いかり)高原へ行くこともできます。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.10.02 Thursday

小天橋と久美浜湾

 今日は丹後の西端、つまり京都府の西端を巡ります。地名で申しますと、京丹後市久美浜(くみはま)町です。

 前回の夕日ヶ浦から、弧を描きながら、砂浜が延々と続いています。
 そして、久美浜湾の入口をふさぐように延びる部分が「小天橋」(しょうてんきょう)です。砂州の延びる様子が天橋立に似ていることから、この名前が付けられたそうです。
小天橋

 久美浜湾が日本海と繋がる水路はごく狭く、湾内は海水と川水が混じり合う汽水域です。
 私は最初、湾岸に沿って車を走らせていたのですが、湾の全貌をつかみにくく、どこか展望できる場所はないか探しました。
 ありました! 湾の南東部にある「兜山」(かぶとやま)という、円錐形をした標高192mの小山です。頂上まで道路が通じていますが、幅が狭くてすれ違いが困難なため、車で行くのはお勧めできません。
 しかし、頂上の展望台からはすばらしい眺めです。ここから見ると、小天橋が日本海と久美浜湾を仕切っているのがよくわかります。
兜山からの久美浜湾

 久美浜湾の南岸では、城下町の名残を見ることができます。
 その中心が、次の写真の「豪商稲葉(いなば)本家」です。稲葉氏は美濃の稲葉一族(織田信長家臣)の末裔と言われ、江戸時代には廻船業を営み、近隣諸藩の金融を一手に担う豪商でした。
豪商稲葉本家

 湾の南西岸には、真言宗の古刹「如意寺」(にょいじ)が建っています。 関西花の寺第7番札所で、四季折々の花を楽しむことができます。とりわけ4月に咲く三つ葉躑躅(つつじ)は、濃いピンクが見事です。
如意寺仁王門

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.09.26 Friday

琴引浜から夕日ヶ浦へ

 前回に引き続き、日本海を眺めながら、西へ向かいます。

 「琴引浜」(ことひきはま)は美しい砂浜が広がり、一部では岩床も顔を見せています。
 前回も触れましたように、地元の方々が随分力を尽くされ、美しい環境が維持されています。他の海岸では漂着物を目にすることがありますが、この浜では美しさが保たれ、人工物も殆ど見えません。
浜に寄せる波

 網野の市街地の北には、「八丁浜」(はっちょうはま)という弧状の砂浜が続いています。
 遠浅の海岸では、夏は多くの人々が海水浴を楽しみ、他の季節もサーファーが波乗りをしています。また、ご覧のように海のすぐ近くで、サッカーをすることもできます(有料)。
八丁浜シーサイドパーク

 丹後半島を周遊するときによく利用する国道178号線は、網野からしばらく内陸を通ります。
 そこで国道から離れて、海沿いの道を行けば、「」(いそ)という集落に着きます。ここは源義経の愛妾・静御前(しずかごぜん)の出生地と言われています。母の磯禅師(いそのぜんじ)ともども白拍子(しらびょうし)として、京の都で活躍しました。
 義経が兄・頼朝と争い、吉野山で義経とはぐれた静は、鎌倉へ連行され、そこで我が子も殺されます。静は失意のうちに故郷の磯へ帰り、短い生涯を終えたとの伝承が、丹後では語り継がれています。
 次の写真は、静神社近くに造られた展望台から、磯の集落を眺めたものです。
磯海岸

 磯海岸から西へ断崖上の道を進むと、やがて「五色浜」(ごしきはま)という、大規模な波食台(砂地のない平らな岩床)への道が分岐しています。その坂道を下りたところには、遊歩道が設けられ、公園として整備されています。
五色浜

 元の道へ戻って西進し、浜詰(はまづめ)の町へ下りてきたあたりに、「夕日ヶ浦」(ゆうひがうら)という場所があります。
 その名のとおり夕日が美しい浜辺で、「日本の夕陽百選」にも選ばれています。私も優美な名前に惹かれて、好天の夕刻に訪れてみました。海に落ちる夕日は本当に感動的です。
夕日ヶ浦の落陽

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.09.22 Monday

間人から琴引浜へ

 久しぶりに丹後半島北岸を訪ねましょう。今日ご案内するのは、間人(たいざ)から琴引浜(ことひきはま)にかけての海岸線です。
 8月には海水浴客で賑わったこの地域も、秋になるとすっかり落ち着きを取り戻します。

 「間人」と書いて「たいざ」と読む理由については、地元に次のような伝承が残されています。
 6世紀末に蘇我氏と物部氏が対立して争乱が起きたとき、この地に聖徳太子の母親・間人(はしうど)皇后が、幼い太子とともに避難してきたと言われています。彼らの血筋は蘇我氏系であり、ここはその領地だったのですね。
 やがて乱が終息し、大和へ帰る皇后は、世話になったこの地に、自分の名を贈りました。しかし村人は、直接「はしうど」と呼ぶのは恐れ多いと、皇后が退座したことに因んで、「たいざ」と読んだそうです。
 現在、皇后と太子の像が、立岩の傍で海を眺めるように立っています。
間人皇后と聖徳太子
 この地には漁港があり、冬の味覚「間人ガニ」で有名です。

 間人漁港から海岸線に沿って西進すると、「城嶋」(しろしま)という小さな島が陸地に隣接しています。
 戦国時代には城塞があったそうで、夏は青い海が広がりますが、冬など荒れる日本海の波濤が押し寄せて、城兵の心細さは如何ばかりかと思いました。
城嶋

 更に西へ進むと、丹後地方の典型的な風景を見られる、なかなか風光明媚な海岸線が続きます。次の写真は逆光の下、眼前の磯浜を撮ったものです。
砂方海岸

 この海岸の先には、「琴引浜」があります。
 鳴き砂で有名な美しい砂浜で、「日本の渚百選」にも選ばれています。好天の日、砂浜を歩くと、石英の粒が振動してクックッという音がします。
琴引浜
 ゴミなどの不純物が砂に混じると、音が鳴らなくなるため、地元では美しい状態を保全すべく、懸命に努めています。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |

2008.09.17 Wednesday

大江山に登る

 加悦谷から見ると、いつも「大江山」(おおえやま)が目に入ります。今日は鬼退治で名高い、この山の一端をご紹介します。

 大江山は古来、源頼光(みなもとのよりみつ)が酒呑童子(しゅてんどうじ)の討伐に赴いた伝説で有名です。一行には、和泉式部の夫・藤原保昌(ふじわらのやすまさ)や、金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)が含まれていたとされています。
 大江山の東側の山麓には「鬼」をテーマにした「日本の鬼の交流博物館」があり、私は興味津々、見せていただきました。
鬼の交流博物館

 私が大江山に登ったのは、この7月です。4月に、羽衣天女伝説が伝わる「磯砂山」(いさなごさん 661m)に登って以来、丹後では2回目の山歩きとなりました。
 元々山歩きが好きな私ですが、このように丹後へ来てからは、あまり頻繁に歩いてはいませんでした。そこで大江山に登るにしても、まずは足ならしをしようと、できるだけ高低差の少ないルートを探しました。大江山は連峰で、幾つかの峰があります。どうせ登るなら、最高峰の「千丈ヶ嶽」(せんじょうがたけ 833m)を目指したいと思いました。
 地図を見ていますと、東側の山腹にある「鬼嶽(おにたけ)稲荷神社」まで車で行けば、実際に歩いて登る高低差は、200m程度らしいのです。まずここをアタックすることにしました。また一人で登山する場合、万一熊に出合うと困るので、効果のほどはわかりませんが、鈴を持っていくことにしました。

 決行当日、朝早く起きて車を走らせ、鬼嶽稲荷神社の駐車場に車を停めて、山道に足を踏み入れました。コースは整備され、両側にはご覧のような木々や熊笹が茂っています。
大江山登山道

 鬼嶽稲荷神社からの登山道が快適なので、30分足らずで千丈ヶ嶽の頂に着きました。
 山頂は平坦で、西側に視界が開けています。また北の鳩ヶ峰・鍋塚、南の赤石ヶ岳と、同じ大江山連峰をなす峰々への道が続いています。
千丈ヶ嶽山頂
 あまりに早く山頂へ着いたものですから、さすがに少々物足らない気がしてきました。一旦車に戻り、山裾を半周して、今度は西側山腹の「加悦双峰(そうぼう)公園」から、同じ山頂をもう一度目指してみたくなりました。

 車を走らせ、福知山市大江町を経て、与謝(よざ)峠から加悦谷へ入ります。与謝の集落から双峰公園への車道を上り、終点に車を停めて、登山道を歩き始めました。
 次の写真は、登山道の途中から見た千丈ヶ嶽です。このあたりの標高は600m弱だと思います。
双峰公園からの大江山

 つい先ほど山頂に立ったことでもあり、無理をせず、気軽に行けるところまで行こうと思っておりましたら、路傍に「熊出没注意!」の標識を見つけ、今回はここで断念しました。

Author : 天橋立ホテル | 秋の丹後 |