前回も申しましたように、舞鶴市街は山地で幾つかに分かれています。今日は西舞鶴から更に東進し、東舞鶴を巡ります。
元来、単なる入江にすぎなかった舞鶴湾の東部に、横須賀・呉・佐世保に続く軍港(舞鶴鎮守府)が完成したのは、1901(明治34)年、日露戦争の3年前のことでした(初代司令長官は東郷平八郎中将)。
湾口が狭く湾内が広い地形が、防御に適し、多くの艦船を収容できると評価されたのです。
第二次大戦後は大陸からの引揚港として、多くの出征兵士や在留邦人を迎え入れ、現在では海上自衛隊の基地が置かれています。自衛隊桟橋にはイージス艦などの新鋭艦もしばしば停泊しており、特に事情のない限り、土日曜・祝日には、近寄って艦船を見ることができます。
自衛隊桟橋の東方には、明治30年代に建てられた赤煉瓦倉庫群が並び、独特の情緒が漂っています。これらの建物は当時、兵器庫など海軍施設として使われていました。現在でも多くが倉庫として使われ、一部は「舞鶴市政記念館」「赤れんが博物館」などとして公開されています。
一連の倉庫群から少し南へ行ったところに、「北吸隧道」(きたすい ずいどう)が残っています。やはり赤煉瓦が用いられ、かつては鉄道のトンネルでした(全長110m)。1972(昭和47)年に廃線となった後、自転車・歩行者専用道路として整備されています。
このあたりを散策しておりますと、明治以後、日本の辿って来た近代化の歴史が、垣間見えるようです。
今日はここまでにして、次回は湾岸を北へ向かい、「舞鶴引揚記念館」や大浦(おおうら)半島を巡る予定です。
2008.09.01 Monday
東舞鶴を巡る